岩波英知自己正常化プログラム口コミブログ Dr.Strangelive または私は如何にして対人緊張で苦しむのを止めて自分を愛するようになったか

☆人生を地獄に突き落とした対人緊張、社会不安障害、対人恐怖、視線恐怖症、赤面症、そしてうつ病 その私がいかにして劇的に神経症を克服できたか。 岩波英知先生の自己正常化プログラムを受講したブログ主の口コミ体験談 その効果やすごさについて ☆私に奇跡を起こしてくれた岩波英知先生の神経症克服プログラム(自己正常化プログラム)の体験記や感想、ガイド 社会不安障害(対人緊張や視線恐怖症)・うつ病で苦しんだ修羅場の体験記 このブログを同じ対人緊張で人生を苦労の連続にしてしまった人へ捧げます

タグ:社会不安障害

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排尿恐怖症の症状って?

近くに人がいると排尿できない症状です。
私も排尿恐怖症でした(いまは克服しています)。

社会不安障害、対人恐怖症の一種なので、これらの症状の人で排尿恐怖症の人もたくさんいると思います。
特に男性の人が圧倒的に多いでしょう。
女性は個室がありますから。

この個室がある、ないが重要で、もし女性で社会不安障害の人ならば、個室がなくてトイレをすることになったら、たちまち排尿恐怖症の女性が激増するに違いありません。
排尿恐怖症は尿が出なくなる単純な問題ではなく、『対人』という状況でなる症状なので、まさに社会不安障害、対人恐怖症の一種です。

特に苦手な人の時に発症しやすく、次第に全人間に適用されていく症状

職場や学校でのトイレに人(上司とか苦手な人間の場合特に…)が入ってくると、どんなに尿意があっても出なくなります。
公衆トイレでも、後ろに並ばれたり、横に人がいて用を足していると、勝手に緊張し、心臓がドキドキして排尿ができなくなる症状です。
無理に早く俳名しようと頑張ろうとすればするほど、ますます出なくなってしまいます。

人がいなければまったく問題がないですが、キャリアが長いと、私のように『このトイレに人が来るかもしれない』と思うだけで、一人でも排尿困難になってしまいます。
なので小便でも、個室に入って排尿する人が多いです。
私もそうでしたが、学生時代大便の個室から出てくることを見られたら、ひどくバツの悪い思いをしたし、本当は小便を普通にしたいんだよと悔しくなっていました。


排尿恐怖症のストレス

小便で緊張するなら、個室でやればいいじゃないかと、排尿恐怖症を知らない人からしたら簡単に言われそうですが、ものすごいストレスがありました。
普通に行動できない自分がまず情けなくなります。
当たり前のことができないことのストレスです。

あと常にトイレのことを考えなくてはいけません。
やはり男は小便器で衛生面で用を足したほうがいいのに、なぜ自分はわざわざ汚い大便器で小便をしているのだろうと、悔しくなります。

そして誰にも相談できない悩みでもあります。
尿意があるのに排尿できないことを、普通の人は訳がわからないでしょう。

早くトイレを済ませないといけない時、焦れば焦るほど排尿できなくなり、人を待たせてしまっている時ほど、焦りが倍増します。
これもものすごいストレスです。

常にトイレでもトレイに入る前でも、排尿恐怖症のこと(予期不安)が頭をよぎります。
人が来たらどうしよう、トイレが遅くて待たせたらどうしよう…など色々なくだらないことばかり考えていました。


排尿恐怖症から対人恐怖症、社会不安障害の症状が悪化するケースも

もともと対人恐怖症ではなかった人、あんまり意識してこなかった人が、排尿困難をなにかのきっかけで覚えてから、そればかり気に病んで固着し、様々なケースで人に対して緊張するようになり、全般的な対人恐怖症になったという例も多いようです。

排尿恐怖症の初期段階であっても、人に相談することは恥ずかしいし、理解されない悩みでもあるので、一人で悩みやすく、焦りが加わって、排尿恐怖症から対人恐怖症に転落していくことは想像に難くありません。


排尿恐怖症が治った経緯についてお話します

排尿恐怖症を克服できたのは、対人恐怖症の克服により、付随的に治った感じです。
人がいると緊張する自分でいる限り、トレイのような生理現象では、排尿恐怖症(排尿困難)になるのは当然です。

自分のアソコを覗かれるかもしれないとかあります。
対人恐怖の人はそういうことをされることに神経過敏です。
また脇見恐怖症(自己視線恐怖症)により、隣の人のアソコを覗いてしまって、変に思われるのではないか?ということから緊張したりもします。
後ろや隣で開くのを待たれていてプレッシャーを感じると、尿道が閉まるぐらい緊張します。

これもすべて対人恐怖症の症状ですので、人がいても極度の緊張をしない自分にならないといけません。
普段から考え方を変えて、認知の歪みを矯正していかなければならないのと、緊張が生じる心因的なメカニズムを破壊しなければなりません。

人がいても緊張で体が硬直するのではなく、受け流せるようになれれば、尿道も少しずつ開いていきます。
脱力感をいかに普段から脳に味合わせるかが大事です。

一人で排尿をするときのことを考えて下さい。
脱力感を感じながら排尿しますし、排尿しているからさらに体が緩んできます。
だから、排尿恐怖症が改善していくことで、対人恐怖症も改善に向かいます。
対人恐怖症が治っていく過程で、必ず排尿恐怖症も付随して良くなっていくでしょう。
私は気がついたら、人がいても脱力感を感じて排尿できるようになっていました。


それは人にどう思われるとか、変に思われたくないとか、そういう認知の歪みが治ったからです。
なぜ人に過度によく思われる必要があるんだろう?と、自分でも馬鹿らしくなりました。
そこから、排尿恐怖症も改善に向かっていったと思います。



あとは根本的に緊張感や恐怖心を取り除いてやることしかないと思います。
無意識で勝手に反射反応してしまう『脳の癖』を治すことで私は治りました。
対人緊張が自分の意志とは全く関係なく極度に生じるようになったら、小手先の対策では効果がありません。

それについてはこちらをお読み下さい。
対人恐怖症、社会不安障害の克服の過程をこちらに書いています。


  
 

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神経症、対人緊張や社会不安障害を治す! 治るために私が大事だと思うこと

私の経験から得た結論

なぜ私が岩波英知先生の心理脳内プログラムに通うまで良くならなかったのか
そして、通ってから、良くなったのか

この二つを考えていくと、自ずと一つの結論に達します。
この大きな違いは何なんだろう? 
結局は専門家・施術者の能力につきます。
かといって、すべて施術者任せにするのではなく、あくまで自分が治ってやるという意気込みがプラスされた方がいいです。
たしかに飛び抜けた存在ですし、他に二つと無いプログラムです。
他の専門家がどんなに努力しても追随できないといえるくらい貴重だと思います。
でも、呼吸をしてくるのも自分、自己暗示を入れるのも自分(先生も暗示をかけますが時間から言うと自己暗示の方が圧倒的に多いです)です。
だから、主体性を持ってプログラムに取り組みましょう。
自分自身の心の手強さを知っている人ならなおさらです。

神経症を克服させる方法はあくまで方法論で実際にできていません

それまでは、私はまったく医者や心理セラピストに信頼がもてなくなってました 。
なんでしっくりいかなかったかというと、期待が持てなかったからです。
だから通っていても、いくのがめんどくさい気持ちを持って通っていたのを思い出します。
惰性で通っていたのです。


惰性に陥ってしまうなら、通わない方がいい。
そのお金と時間を、別のものに振り分けた方がいいです。
本物の施術者は、最初から、ガチッとくるものなのです。
毎回毎回新鮮な驚きと、効果を感じられるから、期待を込めて通っていました。
当然、よくなってやる! という積極的な気持ちもどんどん出てきました。
対人緊張や鬱から脱出できる出口が見えてくるから、落ち込み具合もどんどん減ってきました。

メンタルは悪いときは歯止めなく悪化していきます

人間は、人生はうまくいくときは、どんどんうまくいくものです。
悪循環のどん底の時は、絶対何をしても、どんなに抗ってもうまくいかない。
悪循環から好循環の人生になる秘訣は、悪循環の元になっている、そうせざるを得ない過去の人生の問題を消滅させていけばいいわけです。

消滅と言っても、起こったことはもう取り返しがつかないから、問題でなくせばいいわけです。
無意識がちょっかいを出さないように、ただの事実として残ればいいわけです。
そうすれば、時効となり、重みが一気にとれます。

そのとき、私は本格的に乗り越える直感がしました。
理論的にも、感情的にも、これで良くなるな、と言う確かな予感がしました。
ぴったりはまった、と言っていいと思います。
原因がわかってるんだから、あとはそれに対処していけばいい。

100の平凡セラピストよりもたった一人の本物との出会い

でも、それをすべてできたのは、ひとえに岩波英知という存在でした。
神経症克服というのは、たしかに大変です。
簡単にできたらみんな苦しんでいません。 
それが、あ、簡単なんだな、と思ったとき、一気に頭にリセットがかかりました。
そんな手強い事じゃないなという実感です。 
それができたのは、天才心理脳内コンサルタントの先生の能力がまずベースにありました。

悩んでも人生は一度だけです。そして悩みは決して時間は解決してくれない。
もう悩んでしまったのならばしょうがない。乗り越えるしか道はないと思います。
乗り越えて悩んだエネルギーを何倍にもして取り戻す、そういう主体性を持っている人ならば、必ず乗り越えられるだけの強い武器を岩波先生はその技術で与えてくれるはずです。

社会不安障害、対人緊張にいつまでも苦しめられる悪循環を破壊してください。
あなたならが必ず成し遂げられます!

 

私はとても回り道をして、結果が出ました。だけれども、みなさんはダイレクトに神経症解決へと向かってください。
それだけのものがこの心理・脳内プログラムと岩波先生にありましたから。

このホームページが、神経症を解決するための大きなきっかけになることを願ってやみません。
神経症や心の悩みはすべてから光を奪ってしまいます。 

私へのメールは↓にあります

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神経症が良くなりたい方はこちらまで。岩波英知先生のセラピーについても

本気で神経症を克服したい方、メールを待っています。
力になりたいです。私と同じ苦しみはすぐ終わりにしてください。
最近、神経症克服プログラムは予約が多く、断られているケースが続出しているそうです。
それでもあきらめないでください。私もそんな人の力(紹介者優先のため)になりたいと思います。メールを下さい

リンクを張ってもいいよという人は、メールください。勝手に貼ってくださっても結構です


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社会不安障害、対人緊張の原因を根本から解消

さて岩波英知先生のところに通う日がまた来る。
より詳しく人生の悩みのルーツを書いてきた。書いている時は私の人生だからいっそう眉をしかめることだらけだった。
でも、原因がよりしっかりとわかってきたと思う。どうしてこういう状況に陥ったのか、こういう状態はこういうことから来ているなど、分析解説をしてくれた。
いまでもそれは私の心の宝物だ。

トランス状態に入れてもらい、悩まない暗示、発想の転換ができる暗示、モチベーションが上がる暗示をトランス状態でいれてくれた。雑談もしつつ悩みについて話し合った。
次の人が来た。その人はもう治りかけている人なので、うらやましかった。でも昔は対人緊張で相当苦しんだらしい。いまはそんな状態は全く感じられなかった。合宿プログラムで劇的に変われる、と言われた。参加する日が楽しみになった。

その後、数回通った。いつの間にか社会不安障害の症状が軽減していることに気づく。緊張も落ち込みもなくなっていた。緊張しない生き方を教えてもらったこともあるし、暗示も入っていったのだろう。
良くなるときはどんな感じなんだろうと思っていたが、ある時気づくという感じだった。今考えると、「あ、いまよくなっているんだな」と感じながらよくなることはあり得ないんじゃないか、と思う。

よくなることを意識することは、同時に症状も意識していると言うことだから。そういう意味でも、いい感じだった。
あれだけ気に病んで、気になって気になってしょうがなかったことが、気にする必要もない精神状態になっていることは、本当に気持ちよかった。爽快だった。
生きる希望がますます出てきた。一番はモチベーションが高まっていたこと。何も怖いことなんか無いじゃないか。自分自身の生き様で貫き通すぞと決心できていた。
できないことができることの、気持ちの高揚も気持ちよかった。

トラウマ破壊や、無意識からの悩みのルーツの受け入れ、暗示浸透がどんどんすすむにつれて、比例するようによくなっていった。昔の自分はなんて、くだらないちっぽけなことに心を奪われていたんだろうと思った。
紆余曲折があったけれど、もう普通になろうなんて思わなくて、普通じゃない生き方をして普通以上の価値を得ようと思えた。そうなると行動しなくちゃいけない。
臆する心もどんどん少なくなっていったから、最初は勇気が必要だったけれど、社会に飛びこむ事もできたし、自分の目標も定まって邁進するエネルギーもプログラムで身につけていった。考えているだけじゃ神経症は解決しないし、対人緊張も無くなりません。やっぱり動いて自信を獲得することが劇的に良くなる秘訣でした。悩み? そんなものどうでもいい、私は私の人生を生きるのみだと。

トラウマが無意識に抑圧されていると神経症は治らないです

実際、みなさんもよくなったときには絶対そう思うと思います。
でも、くだらないことをくだらないまま、価値を大きくして、身動きがとれなくなってしまう、悩みにこだわりを持ってしまう、ということは、それだけ背負っているものが大きい訳ですし、でも、根本から対処していけば大丈夫なものです。執着を外すにはトランス状態を深めることが第一です。悩みの対象がどうでもいい気持ちになります。最初はこだわりがありますが、いずれどうでもいい、それがどうしたという状態になります。
それが岩波英知イズムであり、悩み克服の心理です。

話は前後するけれど、克服スピードの加速を決定づけたものは一週間の合宿プログラムだった。また大阪に行った。本当に劇的だった。一週間、朝から晩まで徹底的に、話し合い、暗示を聞き、ルーツ分析を根っこから受け入れることをし、先生に相談に乗ってもらい、トランス状態の中でさらに暗示を聞き、自分の力で、意識の変容状態(家でやるよりはるかに強烈)をつくりだすことができ、さらに暗示を聞き、ルーツ分析を徹底してやる。とにかくやりまくった。寝食わすれて一生懸命がんばった。
途中で、うつ病がすっかりよくなった人の瞬間を見た(本当に何かとりついていたものが、すっきりとれて、赤ちゃんのような顔になった瞬間を見た)し、よけい励みになった。もう自分の人生がばからしくなった。なんでこんなことにとらわれて苦しまなきゃいけないんだ。

ある決意が生まれた。覚悟と言っていい。もう悩む必要なんかないと心から思っていた。自分の悩みの苦しみすらどうでもよくなった。本当にどうでもいい、くだらない。
人を気にすることもまったくする必要がなくなった。必要がないんだから気になりようがない。
やってやるぞ! 人に攻撃されたら? そんなもの知るか! やるならやってみろ、やれるものならやってみろ、何があっても関係ない、そう思えた。
それもあまり無理せず気張らず素直に。自分がすごく強くなっていた。

その前に、暗示が自分の脳みそにはりつくほど強烈に入り込んでいた実感があった。ダイレクトに暗示がトラウマ破壊から、プラス思考の構築まですべてがはりついた。だから劇的に効果を得たのだ。すごくうれしいという気持ちは不思議となかった。
でも悩む人生は終わったと実感した。

目の前の景色もすべてが晴れ晴れしく見えた。すべてが輝きみずみずしかった。モチベーションもかなりあがっていた。
どんな荒波にも負けない決心ができていた。つまり私は乗り越えたのだ。自分に勝った。
社会不安障害(対人緊張や視線恐怖)、うつ病とはおさらばできた。
私は大きな武器を手に入れることができた。独り立ちしても人生の荒波を超えていける強さを感じることができた。
こんなに自分が強くなれるなんて思いもしませんでした。

たった一人の人物との出会いでここまで人生が好転するなんて

もっと早く岩波英知先生と出会っていれば、もっと早く教えてもらえれば、と思った。
1年でも2年でも早くあっていれば、人生を無駄に過ごさなくてすんだからだ。
とはいっても、もう私には怖いものはない。同時に、悩みや神経症は、本当に治りにくいものだから、これに出会っていない人は、一生このまま苦しみ続けて生きていくんだろうなと思ったし、今もそう思っている。

神経症は根本から解決しないと、それも尋常じゃない効果のある方法でやらないと絶対よくなることはない。
そして一度挫折しかけた人生(社会的経歴は別の精神的なこと)ならば、普通の道を辿るでもなく戻るでもなく、ずれた道を突っ走ったほうがエネルギーが湧きます。そしてどうせ守ることにエネルギーを費やすのなら、破れかぶれで攻める姿勢に転換しましょう。
人からどう思われるかではなく、私自身が何をしたいのか、何をやり遂げたいのかの気持を強めて(暗示を入れ込んでそうなりました)、攻守逆転させないと、克服する道のりは遠くなってしまいます。

岩波先生の技術の可能性は無限にあります。無意識処理は神経症悩みにも最適かもしれませんが、自己実現をしたい人にとっても強力な武器です。
人間にはハートがあります。ハートに火をつけることができたら、その人の可能性は無限になると思います。私はそれを肌で実感しました。
岩波先生の暗示の世界やトランス状態というのは、究極の所非常に単純で明快です。それは「やるのか、やらないのか」「できるのか、できないのか」そこに最終的に集約されていると思います。
悩みを悪化させてしまうのが悩むという行為(=考えること)とは対極にあります。

無意識の心を説得できるのはそういう単純で明快なものだけです。そして強力なものじゃなくてはいけません。
それを可能にしてくれる施術を用意してくれるのが先生の心理プログラムといえるでしょう。
瞑想を追求している人も、その何十年の成果を私はもう超えてしまっていると思います。レベルが違っているからです。
手法も脳に切れ込む力も何もかも岩波先生は別次元の人です。その元で一生懸命訓練をした人なら、皆私と同じような感想を持つことでしょう。

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岩波英知先生の技術との出会い 神経症克服プログラムの感想
すべてはメールから始まった。書かれてあった内容はいまはもうはっきり思い出せないけれど(それだけ私の頭は混乱していたのかもしれない)、私はこれだと思った。これしかないと思った。
その能力があるという岩波英知先生に会いたいと思った。でも別の考えがよぎった。でも、自分ではまた駄目だろうな、と思った。他の人は良くても私だけは無理だと。

その希望と不安が入り交じった中、その方にいろいろと教えてもらった。対人緊張で克服経験のある方だった。生い立ちなど私に凄く似ていてびっくりした。同じ悩みの人はいることは知っていたけれど、生い立ちまで凄く似ているのは驚いた。似たような環境から似た症状になるものだ。
同時に希望が出てきた。その方が、治ったんだから私もできるかもと思った。大丈夫とおっしゃってくれた。でも料金は4*万円だった。とても自分には払えない金額だった。(仕送りをいままではいろいろとヒプノセラピー・森田療法に費やしてきた。もっと早く知っていれば、と思った)。

とにかく先生と話をしたかった。でも、予約が取れないらしい。かなり先まで待つとのことだった。でもどうしても受けたい気持ちがあった。絶対お金を貯めます、と真剣に頼んでみた。
もう父親にいってお金を借りようと思った。特別に岩波先生という方の連絡先を教えてもらった。電話で話した。これはもう間違いないと思った。これは直感だった。本物だと感じた。この人はなにか自信がありそうだし、自負心を持って生きている。そしてこの直感はあたっていた。
私の想像の何百倍も、通ってから本物だと感じた。。まだ先生の能力を目の当たりにもしていないのに、もうやる気十分だったのは何でだろう。自分はこのときカケに出ていたのかもしれない。
これが駄目なら終わりだとまで思っていた。命を投げ出すぐらいの気持ちだったから、なにか感覚的な鋭さが出たのかもしれない。わからないが、何かがわかっていた。本当に実力のある先生だと言うことが。
理性で判断した者じゃなくて、動物的な本能で判断したのかもしれない。フィーリングがあったのは間違いない。

(ネクスト)



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神経症の罠に陥ってから(社会不安障害・視線恐怖症・対人恐怖・対人緊張・手の震え・どもり・うつ病へ)

高校は周りの人間がどうこうということではなくて、私の中の自分にめちゃくちゃにされた。自分の気にしない、という意識とは逆に何倍も気になってしまう状態になった。
まずは視線だった。人から見られることに異様に恐怖を覚え、見られていると感じるとガチガチに緊張してしまった。頭は柔軟な思考はもちろん、真っ白のパニック状態になった。それはクラス中から注視されている場面になると更に強まった。

だからぎこちなくなったし、挙動不審になったし、クラスからはキョドってる、やばいぞ、顔が引きつっているとよく言われた。言われた自分は昔は反発していたかもしれないが、いまはそのとおりだから、引きつった顔のまま、それを甘んじて受けていた。だから余計惨めになった。愛想笑いをしてしまう自分も情けないと思った。顔の強バリはしたくてしているんじゃない。
でも、緊張したり、自分の顔に意識が向くと、もう余計はずそうとすればするほどこわばってしまった。表情恐怖症と言うべきものかもしれない。神経がとても疲れた。顔が引きつっているぞ、といわれても、無理なんだからしょうがない。おもしろおかしく奴らは言った。

※相互リンクしてくださっているナラさんのブログ 表情恐怖症・笑顔恐怖症! 表情恐怖症から解放された私の記録

自分の視線が相手に恐怖を与えているんじゃないか、とか嫌な感じを与えているんだ、という妄想にちかい強迫観念があった。自己視線恐怖症というものだった。

すでに、がちがちの視線恐怖になっていた。顔のこわばりも、声も、視線もすべて意識が、必要の一万倍以上向いてしまった。自分の全エネルギーがその三つに集中した。正常な理性がはずれ、パニックと恐怖と緊張というマイナスの感情だけが私を支配していた。
人が一人でもいるともうだめだった。相手が自分を見ていると余計がちがちになった。教室ではそれがいつも続いた。言葉で、その苦しさを書けないのが口惜しい。

一番後ろの席に座っていたが、少しは楽だった。みんなの意識の枠からは一番はずれるところだから。そういう意味でははじっこも好んで座った。顔の強バリを意識しているとき、顔が赤いことを気に病む人(赤面症)の存在を知った。その本を読んだ生で、私は赤面症にもなった。もしかしたら人に顔が赤くなる、緊張したり、恥ずかしがっているから顔が赤いんだ、と言われることに恐怖を覚えた。顔が赤い、ともし言われたら、私は生きていけないと思った。身の破滅だと思った。
でも神経への意識が顔に余計向かってしまった。顔が赤いことを気づかれたらどうしよう、いま赤いんじゃないかと怯えた。クラスから聞こえてくる言葉の中で、赤いという、それと似た言葉が聞こえてくると反応した。自分のことを言っているんじゃないか、と思った。
すでに神経症の悩みの思考をコピーして、ありとあらゆる症状に自分を当てはめていた。

それとおなじように、視線や眼という言葉も駄目だった。人の目を見て話せなくなったため(見たら最後だと思っていた。自分の視線の威力が相手にしゃれにならないダメージやきつさを与えているに違いない、と妄想でも事実として自分の心の中にあった)。
何より人の目を見て話せないことが苦痛で苦痛でしょうがなかった。一番劣等感を感じていた。人の目さえ見ることができたら、外見上は変に思われないですむのに、と思った。一方で相手の目を何の意識も起こさずに見られて、楽しく喋っている人がうらやましくしょうがなかったのと、なんでできるんだろうと不思議にさえ思った。
コンプレックスのかたまりの自分は、人が楽しく喋ったりしているのを見て、余計憂鬱になっていった。人の目を見て話せないことを、同級生にさとられたくなかった。もうみんなに変に思われているというのに! 

何にもいいことが無く、ただつらさと苦しさと不安と緊張とやるせなさと劣等感と恐怖と罪の意識をただただ堪え忍んでいた。
当然うつ状態になっていった。一人でいてもまったく楽しくなくなった。昔は一人で遊ぶことがとても楽しかったのに、それすらきつい状態になっている自分に愕然とした。一人でいても、勝手に私の気持ち・心の悩みが私を襲って苦しめるようになった。
もう私が楽になれる場所なんてないんだとおもった。胸の動悸や呼吸に意識が向くようになった。胃も悪くした。これは心因性によるものだった。心身症の状態になった。
心臓の動悸は暴走して、裂けんばかりに胸うち、呼吸もマイナス思考におそわれたときはとても息苦しくなった。つねに心臓の鼓動や呼吸が楽かどうかをチェックするようになった。もう私の神経が私をつねに殴りつけている状態だった。

自殺をいつも考えていた。いっそのこと死んでしまおうと思った。対人恐怖は、鬱病と違って自殺できない、というが、果たして私が岩波先生と出会っていなかったら、どうしていただろう。死んでしまったいたのだろうか。苦しみ続けたまま今も生きていただろうか、と考える。
治っていることは考えられないだろう。とにかく、睡眠薬を大量に飲むことに決めた。しかし、いまの薬はそういうところは安全にできていると聞き、飛び降りに決めた。でも首つりが一番手っ取り早いということになり、私がこのまま治らずに高校も大学もそのままだったら、その自殺方法に決めた。時々、ロープを作ったりして、試しに首に縄を付けたりしていた。
対人恐怖で実際に自殺を選んでしまった人は相当な数いると思う。でも誰も対人恐怖の辛さをわからないから、対人恐怖で自殺したという直接的原因はわかっていないだろう。自殺したほうがマシなくらい苦しいのが対人恐怖だと身をもって体験している人じゃないとわからない。 
絶対自殺するハメになる前に対策をとろうと思った。だから精神科に電話して予約を取った。
私の症状はその時には本で対人恐怖で視線恐怖症で、赤面症ということがわかっていた。でも、他の人がそういう状態になっているということを知らなくて、自分一人が、他の人はなることはない病気にかかってしまった、という認識だった。だから治らないかもしれないというおそれがあった。

精神科ではまったく治らなかった。治らないのは当然で、薬の作用は感覚を鈍くしたりして、不安やおそれなどを押さえ込むだけのものだ。
その不安やおそれや神経の暴走は当然私の中のもっと深いところで起きてしまっている。よく使われるのは無意識という奴で、これには普通の状態では絶対手が届かない。そこから対処していかなければだめなんだろうと思い始めた。たくさん本を読んだからだ。
森田療法の本も読みあさった。でもどれもどうしたら治ることは書いてなかった。自己啓発の本も必死に読みあさった。そうなんだろうな、と思う。でもできっこなかった。
とりあえず薬は飲み続けた。体がだるくて眠くて仕方がなかった。医者は信用できない感じだった。でも薬を飲み続けることで、いつかぱっと治るのかもしれないという期待はしていた。今思えば、すごくもったいない時間の浪費だった。薬をどんどん変えてくれたり、量を増やしていったり、強い薬をくれたりした。
それでも、いっこうに症状は治らない。絶望に陥った。薬を飲めば、楽になると思っていたから、症状がまったく(本当にまったく抑えられなかった。少しは抑えられると期待していたのに)良くならないのを見て、やっぱり私だけが取り残されるんだなと感じた。精神科にも幻滅して、通わなくなった。

学校は苦しみながらも通い続けた。変なプライドがあって、学校に通わなくちゃいけないという強迫観念があったのか。
成績は低いレベルだった。もう勉強どころではなかった。早く卒業したかった。両親への手前、そして世間への手前、中退だけはしたくなかった。
こんなことには私はくだらないパワーを使ってしまっていたのだ。あのとき我慢しきれずに中退していたらどうなっていたんだろう。絶対引きこもりになっていたに違いない。後に引きこもり状態になったが、このときの引きこもりは、もう社会への道がまったく閉ざされていただろうと思う。
かといって、家の中にいても親に小言を言われる毎日だろう。岩波先生の心理プログラムに出会っていなかったならば、やばい状況になっていた。人は精神的に転落したら、どこまでも転落してしまう。
でも負けん気だけは捨てなかったと思う。苦しくて苦しくてたまらないけれど、どこかで挽歌視しようという気持は持ち続けていた。自殺を考えながらも。

やっと卒業できた。卒業式は仮病を使いさぼった。中学も高校も大嫌いだった。憎しみすら持っている。いまはどうでもよくなったが、一生こんなとこにはこないと思った。
早く社会に出なきゃいけなくなるときまでに対人恐怖やそれに付随する神経症の悩みを克服しなきゃと思っていた。でもいい方法なんかまったく見つからなかった。本物に出会えなかった。
一縷の望みに期待をかけて、苦しみの中で生きていた。

あまり期待をかけていなかったが、少しでも対人恐怖による神経の暴走を沈めようと、自律訓練法のテープ(CD)を購入した。でも何にもならなかった。交感神経の高ぶりは、自律訓練法ごときで抑えられるわけがない。表面上をただなぞるだけのものだ。
もっと私の悩みの深さはとんでもないものだし、自律訓練法で時間を潰すのはもったいないなと思うようになった。最初から気休めでやっていただけだったが、何の役にも立たないことがはっきりした。長続きせず捨てた。

(ネクスト)

 


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高校生で神経症になるまで

私立中学に入学した。小学校時代の窮屈さやしがらみから解放されるとおもって、少しは希望をもった。電車で遠いところにある中学に行ったので、すべてが変わると思った。でも何も変わらなかった。よけいひどくなった。
中学校自体の雰囲気がなにかどんよりも曇ったイメージだった。年齢の成長もあるかもしれないが、みな疎外感を全面に漂わせていた。心に壁を作り始める年代だ。重苦しかった。何より自意識が芽生える年頃だ。
私に自意識が芽生えたら、自滅するのは今ならよくわかる。

それでも最初は環境が変わり、心機一転の心境だった。でも、クラスの中で派閥を皆作り始めた。そしてその派閥以外のグループとは疎遠の状態だった。だから、孤独感は余計強まった。
私は、あるグループで行動を共にした。そのグループの中では居場所があり安心だった。でも、嫌われたくない、良く思われたいという気持ちは、いっそう強まった。疎遠なグループのメンバーから自分のことが嫌われているんじゃないか、という思考が小学生時代のようにおそってきた。ほんとうに冷たい雰囲気のクラスだった。担任も窮屈な奴だった。
だから、その素っ気ない態度で、余計やばい嫌われている、といつも周りをチェックし、人の顔色を見た。嫌われないようにどうしたらいいのか、どうしたら好かれたり、みんなに受け入れられるんだろう。全神経をつかって、この自意識が芽生える時期に全力でやっていた。小学生の何倍も窮屈になった。
いつも怯えていた。悪口が怖かった。疎外されたり、無視されるのが怖かった。

あることでクラスの奴とけんかした。冷戦状態のけんかだ。理由は忘れたが、お互いに譲れないものがあったんだろう。私もかなり頑固な性格だったし、ここで負けたらアイデンティティがやばい、と思ったのかもしれない。
ともかく、なにか強く思ったら強化してしまうことがあった。それが神経症に結びついているのだが、そのとき、けんか相手に別のグループの奴まで応援した。ショックだった。中立なのに、なぜか相手を応援している。急に弱気になった。惨めになった。
余計クラス中の眼や顔色を伺うようになったし、いけないことをしてしまったという後悔ばっかりしていた。けんか相手の奴がにやついているのをみると、無性に腹が立った。やっぱり私の存在が、そういうふうな存在なのかな、と腐った。
ここであくまでも私の筋を通しきれば、違った結果になっていたことは間違いない。勝手に萎縮してしまって、殻に閉じこもった私の自滅ですね。

高校に入った。がちがちに人前で緊張していた。国語や英語で発表があったり、当てられたりすることがある。中学までは、いやだったけれど、それなりに読めていた。
でも急に声に(のどに)意識が向いた。恥をかいたらどうしよう、という思考がよぎったのかもしれない。急に声がつっかえた。どもるようになった。クラス中の奴が笑った。自分自身、声の震えも気になる。それ以来、教師に当てられることも凄く辛くなった。クラス中のやつらが、当てられるのを期待しているようだった。
実際、クラス討論会があり、しょっちゅう自分に当てられた。惨めだった。奴らの期待は、自分がつっかえたり、声が出なくなって突っ立っていることだけだった。でも、道化のように私は笑っていた。心の中では泣いていた。同情してくれる人もいたが、辛いだけだった。

目立たないようにしようと思っていたことが、自分の症状のせいで目立ってしまうし、嫌われないようにしようと必死で心に誓ったのに、嫌っている奴も(最低限気に入らないぐらいでもいやだった)いたし、みんなから好かれたいのにそれもかなわなかった。
自分を完璧にして、良く思われようと常に考えていたが、行動もせずに頭の中で良く思われようと思っていただけで、ついには自滅してしまった。

細かいことはいくらでもあるけれど、それ以後の自分に比べれば、まだまだ序の口だ。まだまだこのころまでは生きられたし、ハンデはあったけれど、死を予感したことはなかった。
でもこのあとに、とんでもない負担が私の心をおそった。完全に神経症になってしまった。生きられないと思ったし、治る見込みがないと思った。それまでのきつかったが、度合いが今度はもっと違う。

 

(ネクスト)


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学生時代の思い出-小学生まで

幼児期の頃から、ああしろ、こうしろ、恥をかくな、良く思われろ、という教育を受けてきた。人目を気にしやすい母親・厳格で融通がきかない感情を表に表さない父親のもとで育った。
当然、誰よりも人目に敏感になり、自己主張もできません。感情の発散自体が恥ずかしいことと思って生きてきた。兄弟もみんな似たような性格を持っている。
でも、ここまではまってしまったのは私だけ…。何が差を分けてしまったのでしょうか。でも今は兄弟も少なからず悩みを抱えているようです。神経症とまでは至っていませんが。

いつもどこかに窮屈な感じをして生きてきた。クラスメートとも、話がしっくりいかない子供とは、絶対その後しっくりいかなかった。
自分を受け入れてくれる子供だけ友達になったが、自分が苦手だな、と思った同級生とは絶対、うまく喋られなかった。気持ちがどうしてもついていけなかった。年上の人や先生ともうまく喋られなかった。
なにか喋らなきゃ、暗いと思われる、変に思われる、という気持ちが子供の時から強かった。だから喋ろうと話しかけようとする。
だけれども、よけい何を言っていいかわからなかった。でも話したい。余計窮屈感を覚えた。
子供らしいところもあったけれども、幼くして、はまるベースを着々とはぐくんでいた。なんか生きづらいなと感じていたことは確か。
でも子供心に楽しいこともたくさんあったけれど。

友達やクラスメートにちょっかいを出されるようになった。一応友達だったやつだが、いつも私のことを無口だの、もっとしゃべれ、だの言う。また目が潤んでいるので、なんで泣いているの? なんてよくいわれた。
そこが視線を意識、眼を意識する原因となったのかもしれない。その悪友だけではなく、別の奴にも言われたから、そうなのかな、とよけい自分の目を意識した。
ともかく、そいつの言うことがすべてが、私に対する当てつけに思われた。だからいつもそいつがいると身構えた。人のいうことの裏を考えるようになった。人の投げかける言葉をすべてマイナスにとってしまうように。

どうしたら言われないようになるか、いつも心を砕いていた。余計居場所がなくなるというか窮屈感が増した。
でもそいつとはつきあわなきゃいけない。そのちょっかいや当てつけに対して、がつんと言ってやりたい。でもできなかった。
よけい不満がたまったし、それが言えない自分が情けない。さらに、そいつの友達までが(私とは親しくない)私にちょっかいを出し始めた。
なんでこいつにまで言われなきゃならないんだと思った。プライドが傷つけられた。爆発しそうだった。でも我慢した。そんな自分に嫌悪感を持った。抑圧をため続けていた。
家でも同じ感情を抑圧されることを親からかけられていた。でも発散できるほど、人慣れしていないし、感情を出せないから、よけい内面に不満をため続けた。
岩波英知先生に出会うまでずっと抑圧のはけ口がなかった。だから神経症になるしかなかった。今から考えても恐ろしいことです。

一人で遊ぶことが好きだった。ホッとした。空想ごっこをして遊んでいた。両親もそんな自分に不安を持っていたらしい。
強い子にしようと、習い事を無理矢理させられた。見知らぬ環境が本当に本当に嫌でたまらなかった。通うのが嫌で良く泣いた。通うまでの車の中はとても暗鬱だった。
みな自分を嫌っているように思えた。他の人が楽しくやっているのを見ると、そうなりたい気持ちがあったけれども、できない自分が惨めに感じた。どうしたらあんな楽しくできるんだろう、と思った。母親はそんな私を不満に思っていたと思う。いろんなところに通わせられた。たぶん、そんな息子を持っていることが、人目に悪く映ってしまうからだろう。年を重ねるにつれて、人の評価を必要以上に気にするようになっていった。
親は親でこんな性質の子供に仕立てておいて、自己主張できないことをなじったりした。言われるがままだった。

学校は楽しくなかった。楽しいときもまあまああったが、トータルでみれば、やっぱり高校生に神経症という悪魔におそわれるだけの材料はたくさん収集していた。だからきつかったと言えると思う。いつも自分を守り続けていた。

異様に人からの評価が怖かった。通知票が怖かった。保護者面談が怖かった。
●●くんってさ、という会話が聞こえてくると、自分の評価を下されるんじゃないか、と怯えた。クラスのどこからか、自分の名前に似た言葉、発音が聞こえると、私の噂をしているんじゃないか、と不安になった。実際悪口も聞こえてきた。だから余計気になった。
人の顔色をいっそう伺うようになった。そんな自分がやっぱり窮屈で、年を重ねるごとにどんどん居場所が無くなっていった。ますます気持ちが萎縮していく。この頃から自意識がもっと芽生えたら確実に対人恐怖になってしまうルーツは出来上がっていました。

中学受験をすることになった。自分だけ違う進路に行くと、クラス中の生徒になにか噂されたり、疎外されるんじゃないかと怯えた。こんなくだらないことまで気を病んでいた。人と違ったことをしたくなかった。
当時は私立中に行く比率がすくなかったため、そんなことをしたくないと思った。でも、中学で、違う環境にいける喜びがあった。窮屈なこの状態から抜け出したい気持があったから。

近くの進学塾に通った。5年生からだ。でも一年ちかく、ほとんど友達ができなかった。話しかけるきっかけがなかった。みんな自分より前から入っている人ばかりだったから、私が話しかけると変に思われはしないか、と気にしていた。
その後、あとからはいってきた人と仲良くなり、それがきっかけで、他の人とのなじめるようになってきた。それに受験勉強という目的があったから、少しは楽だった。私の生活態度や内面をみられなくてすむから。
とはいっても、やっぱり対人恐怖的な症状は、すでにあったし、小学校ほどではないにしろ、人目を気にしたり、自分の名前に似た発音があると、やっぱりここでも言われちゃうのかな、とおもって、暗くなったときが何度もあった。
受験勉強はけっこう頑張った。だから学校では成績も良かった。

うんこをクラスで漏らしてしまったことがあった。トイレに行きたい、と言えなかったのだ。だからついに我慢できなくなって、出てしまった。
終わりのホームルームの時で、みんなくさい、くさい、といった。もう死にたかった。消えたかった。ただ嵐が過ぎるのをまっていた。結局、犯人がわかることなくおわった。(周りの奴は知っていたかもしれない)。
私はすぐ泣いて帰った。恥ずかしいことを我慢したら、余計恥ずかしい目に遭ってしまう。このルーツ分析をしていて、一時の恥を堂々とかけるきっかけになった過去の出来事でもある。これを反面教師にした。

話を戻すと、その後、犯人がわかってしまった。椅子にある防災用の頭巾クッションの臭いでわかったらしい。翌日ばれるのが凄く怖かった。ばれているんじゃないか、と怯えていた。
もう一生学校に通いたくなかった。当然、朝の登校時から、私を見る目がみんな違う。いかにもさげずんだ、馬鹿にした、にやついた顔ばっかりだった。クラス中噂になっていた。いたたまれない気持ちで席に座った。
あれだけ、みんなに変に思われることをしないように決めていたのに。防災頭巾は無くなっていた。担任の先生が捨てていた。誰も話しかけてくれる奴はいなかった。その後、あからさまに無視する奴が出た。
すべて自分が悪いんだと思って、耐えていた。よけいクラス中の話し声が、自分を責めたり笑ったり、悪口を言っているようにそのとき以来、いっそう聞こえた。悪友の一人が別のクラスにも教えまくった。惨めだった。
当時不登校は一般化していなかったため、必死で耐え続けた。

トレイに行きたいのをを我慢して漏らしてしまったことがそれ以前にもあった。何か発言するとまずいんじゃないか、恥ずかしい、と思って我慢に我慢を重ねた。つまり、自己主張が全くできない子だった。小便をもらして、水だ、と嘘をついたこともあった。
なにか違う出来事で自分が浮いてしまうことをおそれて、目立たないようにしようといつも思っていた。目立ったことをしちゃいけないと思った。だから、うんこを漏らした事件は、取り返しようもつかない傷を作ってしまったと、ずっと思っていた。

みんなからシカトごっこの標的にされたこともある。何をやっても話してくれないし、話しても反応しない。こんなことをされるのは自分が悪いんだと思った。他の奴はされていないのに私だけされるには、絶対理由があるに違いないと思った。
どうしたらされないですむんだろうと思った。自分の存在自体が、そうされる要素を持っているんだとしたら、そう考えただけでも恐怖だった。それは、もう対策がとれないからだ。そいつらに、立ち向かったり、怒ったりすることもできなかったし、泣きたかった。
それはすぐ終わったが、いつそれがまたされるんだろうと思うと、余計嫌われないように行動しなきゃと思った。目立つことはしないでいれば、すべて何事もなく時間が過ぎていくだろうと感じた。それを実践しようと強く決めた。
この逃げの姿勢が対人恐怖を強化してしまうことに。

それまで目立ったことをすると(当然子供の無邪気さで)、それを押さえつけたり、悪口を言う奴が近くに必ずいた。どんどんそんなわけで萎縮していった。
もうこのころから、対人緊張や社会不安障害の原因は完全にできあがっていたし、いまなら当然だと思っている。それぐらい抑圧と萎縮と人の顔色を読む反射神経は並はずれていた。

そのときは夢も目標もあった。勉強もスポーツも頑張っていた。
私の父親と母親に育てられれば、症状の度合いは違うけれど、はまってしまう子供になるのは、今はわかる。でも、親は変えられない。いつまでそんなことにくよくよ考えてもしょうがないと思う。
でも、子供の時はそれがすべての世界だったから逃れようがなかったのです。

 

(ネクスト)



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第一部 神経症による緊張・不安・心配・恐怖・暗鬱・無惨・絶望・劣等感・焦燥感の日々(暗黒期)

 

すべてを書いてあるわけではありません。抜粋して書いていますが、それが起きている間はずっと、それと似た思いをいつもしていたわけです。よく似ている方は、辛いと思うかもしれません。
でも、そんな私でも良くなった事実があるので、希望を持って下さい。
元ネタは私が受けた心理プログラムでやったルーツ分析メモからです。

私の社会不安障害・対人緊張などの症状 

社会不安障害(対人緊張・あがり症・手の震え・視線恐怖症・表情恐怖症・赤面症・自律神経失調症・不眠症)・うつ病

たくさんありますが、対人恐怖がすべての元でした。人に対して意識とは正反対に異常に緊張してしまいます。それを強化してしまってきたのが私の前半生です。
 
発症時期
高校一年生(16歳)から。小学生の時から対人緊張の要素はあった。生きていくこと自体がきつくなったのが高校一年生でした。
まさに自意識の芽生える思春期の罠ですね。最初はわけもわからないで、神経症にひたすら堪える日々でした。原因がわからなかったのがつらかったですね
 
通った心理療法
精神科・心療内科・カウンセリング施設・ヒプノセラピー・森田療法など。それに費やしたお金と時間は、すべて無駄でした。
得るものを見いだせなかった私にも原因があります。ただどの方法も対人恐怖や社会不安障害の悩みを解消させる威力がなかったです。本物はどこにもいませんでした。いないから本物といえるかもしれないですが……後に克服した方法と比較したらアマチュアレベルばかりです。プロを装っていますがそんなレベルばかりです。
いかに神経症の克服が難しいかを表してもいます
 
私の各神経症を克服できた理由
岩波英知先生の心理プログラムの神経症克服プログラムを教えてもらい、通いと合宿に参加したため。効果や威力、アビリティ、密度、切れ味、驚き度といったものが全然違います。本物と会えたことが何よりうれしかった。
これぐらいの威力をぶつけなければ神経症は好転しないと断言します。絶対にそうです。潜在意識からの解決、そして私自身の認識の改革と人生を対人恐怖、社会不安障害でムダにしたくないという強い思いが結果に導きました。


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対人恐怖と自殺

私は高校時代と大学時代に常に自殺の方法を考えて、死ぬ場所まで考えたことがあるくらい追いつめられていました。
自殺のシミュレーションを何度も行っていました。
とんでもないくらいに神経症によってぼろぼろになっていました。
未来なんか無く、暗闇の中をうごめく生きる屍となって生きていました(希望なんて持ったら、余計自分が惨めになるだけでした)。
そして対人緊張が治る唯一の方法は自殺だけしかない人間に希望なんかもてるわけがありません。

奇跡な結果ってあるんですね

でも、奇跡を起こせました。
最初は徐々に、そしてみるみる対人緊張、視線恐怖、うつ状態、赤面、顔のこわばり、話し方、手の震え、声の震え、すべてが良くなっていきました。
私を悪化させ続けたマイナス思考が外れ、プラス思考が芽生え、人からどう思われても関係なくなりました。

私は笑われてもいい。
私がすることをするだけだ。そんな人ほど笑われないものです。
落ち込んでいるどうしようもない状態もなくなり、パワーと元気がどんどん湧いてきました。
プラス思考で物事をとらえられるようになりました。

何とかなる、私はあの神経症をのりこえたんだから。苦しみに耐え抜いてきたんだから。
私にはもうあの時の状況を考えれば怖いものなどないと思えます。

本当に本質的なところから悩みを変えていけば、どんなきつい神経症の人でも克服は可能です。
私がそれを経験して克服してきました。

その体験談や、悩みで苦しんできた経緯、良くなることが出来た岩波英知心理脳内プログラムについてWEBページに書いています。ぜひごらんください。

実際によくなっている人がたくさんいます。今は出口が見えなくても、これからはトンネルの向こうにかすかな光がある、そんな状態にこのページを通して実感されれば、うれしいです

あなたは満足に生きられるし、生きてもいい人です!
過去の出来事やトラウマに足を引っ張られる必要はいつまでもありません。
もう苦しむのは終わりにしましょう!

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対人緊張や神経症を根本克服できたら楽しい人生を過ごせます!

多かれ少なかれ、皆さんも同じ苦しい思いを経験されていると思います。
私はある最高の出会い(岩波英知先生との出会い)を経て、劇的にと言っても過言でないほど、対人恐怖やうつ病が良くなりました。
おつりが来るくらい失ったものを取り戻すことができました。
それは今現在も続いています。

生きていることが楽しいからです。
私生活でも相性ぴったりの妻と子供にも恵まれました。
生きることはこんなに楽しいものか、同じ人間でもたった一つ考え方でこうも変わるものですね。
もし悩んでいたままで結婚し、子供が生まれていたら(ありえない未来ですが)、子供にも私の神経症が悪い影響を与えてしまうことにも悩んでいたでしょう。

子供には私と同じ人生を歩んでほしくなかっただけに、今も私の人生はとてもハッピーです。
子供はうまく対人緊張とは無縁の成長してくれています。

私には自信と強さと覚悟の力が身につきました。
一度きりの人生、もう苦しむのではなく、とにかくやっちゃおう。
それではじめて悩みのエネルギーを取り戻せます。

一度神経症のせいで道をずれたら、私に安寧の地はない。
だからやるのみだという心境に達しました。
それからはすごく楽になりました。

いらないと思った安寧の地がすぐそこにあったのです。
でもそこでいい状態を維持してやろうとは期待はしないで、その安寧の地すらもけっ飛ばしてはじめて長期的に心の平温を獲得できました。

絶対に克服しましょう! 失い続ける人生に決着をつけましょう!

でも、そこに至るまでのあの苦しさはとんでもない地獄でした。
だから、一刻でも早く対人
緊張や視線恐怖症・赤面恐怖症、うつ病で悩まれている方に力になりたいと思っています。

出口の見えない不安が、このページと出会うことで解消されればと思います。
ずっと人生は地獄なのではないです。
必ず抜け出せる日が来るものです。

やるべきことをやれば。
やらなければ本当に終わってしまいます。
それぐらい神経症、社会不安障害、対人緊張はやばい症状です。
何もしないまま放置すると自殺したほうがマシなぐらい地獄になります

私でも対人緊張を克服できたのだから誰でもできます

自分が一番どうしようもできないものですし、自分しか自分をどうすることもできないのも事実です。
しかし自分を攻略するためには、強力な武器が必要です。
その武器を与えてくれる存在と出会えたことは幸運でした。
みなさんも、ぜひ自分の人生に奇跡を起こしてください! 応援しています!

少しでも苦しみが軽減すること、それがほんのちょっと先に対人恐怖など、きつくてたまらない神経症を改善した私の役割だと思っています。
だって、良くならなかったら破滅しかないのですから。

甘い考えは神経症には通用しませんでした

私が神経症克服プログラムや岩波英知先生(こんな人っているのか!というぐらいすごい鬼才です)に出会っていなかったら、そのラインの先の未来は自殺か生き地獄しかありませんでした。

ある時に突然良くなっているとか、いつか良くなって悩みを克服しているなんて幻想は、その名の通り幻想にすぎません。
どうしても今の状態から抜け出して、克服したいという心を持っている人は、希望はあります。
私のように良くなれます。私は今強くなれたと思います。

いつか(良くなっている)、とかそのうち(治っているだろう)、なんて思っている甘い考えの人は、いまこのページを閉じてください。
悩みに立ち向かう覚悟がない人(つまり一生逃げ続けようと思っている人)もです。
このページは僕の体験が書かれてあるので、見ていておもしろいことなんてないです。

自分の苦しみを少しでも忘れられることをしていたほうがいいです。
どんどん逃避して下さい。どこまで逃げ切れるかわかりませんが。
相手は決して嘘のつけない自分です。どこまでも悩みをふっかけてくる存在です。 


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完全な神経症に悪化した時期、治りたくても治らない苦しみ

そもそも神経症といわれるレベルになったのは、高校時代でした(小学生からもちろん兆候はありました)。
以来十五年精神科・心療内科・カウンセリング・ヒプノセラピー・森田療法と渡り歩いてきました。
いくらお金を費やしたでしょうか。
失ってきたお金や時間、本当にもったいないことをしてきた人生でした。

贅沢も当然許されず、いかにお金を使わないで貯めていくかだけ考えていました。
お金を派手に使うこともできず、神経症の苦しさと一緒に、生活も制限される悔しさに涙しました。

私は何でくだらないことにお金をつかわないといけないのだろう。
みんなそれぞれ趣味にお金を費やせるのに。悔しさいっぱいでした。

一生死ぬまでこの苦しむ状態が続くのか・・・・といつも暗鬱な気持ちでした。
もがき苦しむ人生をなんで自分は送らなきゃいけないんだろう、いつも自問自答していました。
答えはまったく出なかったです。

行き場のない怒り、鬱憤、絶望、ストレス、哀しみ

なんで私だけがこんなくだらない!症状で苦しまなければならないんだろう。
苦しみの生け贄に選ばれるタイプの人間なんだろうか? 
毎日をびくびくしながら、挙動不審に思われながら、馬鹿にされながら、生きなければならないんだろう、とくさくさしたり嘆いたり、鬱積した感情でいました。

考えれば考えるほど、対人緊張や社会不安障害の悩みは私を容赦なく襲いました。
考えたら負けだとはこの時は気づいていませんでしたから、やることは考えることと余計悩むことでした。
どれだけ部屋で一人で悔し涙にくれたことでしょうか。
大の大人がクタクタになって、身も心もズタズタになっていました。

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私の社会不安障害・対人緊張について

私のブログに来たいただきましてありがとうございます。

私はまともに外に出ることができないくらいに、完全に社会生活が破綻し、日常生活も日ごとに追いつめられていった典型的な対人緊張患者でした。
もっと分類しますと視線恐怖症や赤面症やあがり症です。

そして十数年にも渡って、あまりいいことなく(あったとしても辛い記憶で上書きされていた)、苦しい思いだけして過ごしてきました。
常にストレス、抑圧、プレッシャー、焦りで支配された私は、あまりのつらさで鬱病にもかかり、いつも気分がふさぎ、心がおさまる日はありませんでした。
生きていることが何もしていなくても地獄にいるようにしか感じませんでした。

私の社会不安障害、対人緊張の分類

症状をもっと細かく見ていきますと、自己視線恐怖症・他者視線恐怖症・正視恐怖症・表情恐怖症・外出恐怖症・赤面恐怖症・社会恐怖症・手の震え・どもり・脇見恐怖症・うつ病・自律神経失調症・不眠症とすさまじいまでの神経症歴です。
さらに細かく見ていけば、まだあるかもしれません。
ありとあらゆる症状や悩みを引き寄せて、そのマイナス思考によって強化していきました。

これは私の根本に問題があるから、無意識が勝手にトラブり、他に波及して悪化していったと思います。
いろんな症状は枝葉にすぎないと言えるかも。
マイナス思考がすべてを悪化させていった張本人でした。
人は簡単に坂道を転げ落ちてしまうものなんですね。
自殺者が一番多い死因となっているのもよくわかります。

社会不安障害・対人緊張は努力だけでは治りませんでした

当然のごとく、僕は神経症を良くしたい、治りたいと強い決意でいろんな心理療法を経験してきました。
まずは精神科に通い、精神安定剤や抗不安剤・抗うつ剤(幸い軽いものでした)などを飲んでいました。 
そのあと心理カウンセリングに通いつつ、ヒプノセラピーに通い、森田療法をやっている病院で入院も30日ほど経験しました。
行動療法、認知療法もやりました。

いつも通う前は良くなる奇跡を信じていました。でもすぐにあきらめがでてきました。
何に取り組んでもいっこうに自分が良くならない厳しい現実が、さらに私を追いつめました。
対人恐怖になってしまった自分の人生を後悔するしかありませんでした。

簡単にあきらめていた私も悪いですが、自信と日々を生きていく力すらすっかりなくし、心理療法や薬物療法で改善の兆しがまったく出ないと希望は一切無くなりました。
落ちるところまで落ちてしまったのです。
当然のごとく、うつ病も重くなりました。
対人緊張、社会不安障害になっていない人生を思い浮かべても、そんな人達の暮らしぶりを見ても、泣きたくなるか落ち込むかイライラするしかありません。
自殺したい、常にそればっかり考えるようになりました。

自殺まで考えていた私でも対人緊張が治りました

まさか中学や小学生の時の自分が、その時の私を見たら、ありえない未来でしょう。
その時点でこんな人生なら、まだ子供の時点で自殺したほうがマシと思うことでしょう。
当時の私もそうでした。
今現在も神経症が治らなかったら、死んだほうがマシだと思ってでしょうし、実際に今治っていなかったら、やらかしていたことは想像に難くありません。

でも、希望を取り戻せ、自信がんどんどん積み重ねることができた、悩みが吹き飛んだきっかけに遭遇しました。
私にとって奇跡が起きたのと同じぐらいの幸運でした。
本物の神経症の克服技術と出会ったからです。
強力に根こそぎ無意識の悩みの病巣を焼きつくしていったからです。

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神経症はお金を払っても治るとは限りません

神経症、私の場合は社会不安障害(対人緊張、視線恐怖症、赤面症)やうつ病、は自力で治すことは何よりも難しい症状です。
神経症の罠に陥った人は、その人の願望や精一杯の努力にかかわらず、悩みの悪循環を加速させ、一生神経症にとらわれ続けて生きていくという統計すらあります。

こればっかりはいくらお金があっても地位が高くても解決できない問題です。実際に多くの芸能人や有名人、歴史に名前を残した人が、悲惨な人生を送らざるを得なくなっています。

 

対人緊張、社会不安障害、神経症の克服を諦めないで下さい!

だからといって、神経症克服をあきらめたらそこで試合終了です。
希望があれば何でもできるし、希望がなくちゃ生きている意味が見いだせません。
私は
出口の見えない暗闇の中でもがいているみなさんの手助けがしたいです。
そのための私の体験記です。

 

私のような対人恐怖地獄の思いはもうたくさんです

二度と私と同じ苦しい思いを体験してほしくないですし、これ以上悩み続けることもして欲しくありません。
特に社会不安障害、対人恐怖、視線恐怖症、赤面症、うつ病と言われた人、その自覚がある人を勇気づけたいです
絶望の淵にいる方の力になりたいです!

 

社会不安障害も対人恐怖も実は克服可能です

社会不安障害、対人緊張の壁を越えるには、潜在意識に訴えかけて神経症の元凶を解消していける強力な心理プログラムを受けることが一つ。
悩み克服のエキスパート中のエキスパートに出会うことが一つ。
徹底的に自分の全力をかけて、神経症退治に取り組むことが一つ(自力でやり方を間違えるともっと悪化していくだけです)。
これは覚悟と勇気も必要となるし、自分を変えるための意志も必要になります。
自分と対峙する以上、必要不可欠な武器にしなくてはいけません。

その三つがあれば必ずあなたも神経症の灰色の世界を一変できます。
社会不安障害、対人緊張になった原因は己の中にあるのなら、必ずあなた自身が力を借りることで解決できるはず。
すべての問題の発生は無意識・潜在意識レベルにこびりついた病因と感情的抑圧が、根性と知恵での解決を不可能にしています。

一流の心理療法士や精神科医ですら難しかった技術が現実にありました

逆に言えば、無意識潜在意識レベルから根こそぎ解決できる方法があるならば、希望を見いだせるとは思いませんか?
もう神経症を治すことが不可能だと諦めていませんか?

諦めてはダメです! 神経症を解決することは奇跡と思えるかもしれないですが、実際に私は解決できました。
つまり、自分の無意識に奇跡が起こったのです。

私は実際に信じられない程の効果を得ることができました。
人生は二度と送り直すことはできない貴重な時間です。
是非とも自分の時間を取り戻して、悩みとは無縁の強い自分を取り戻しましょう!

あなたはまだ終わっていません! 希望を取り戻せます! 

しかし根本解決できないと地獄から抜け出せることはないと思います。

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