大阪でついに岩波英知先生に会う

新幹線の中は、対人緊張的な症状もあり、落ち着かなかった。きつかった。
でもこれから自分には未来が戻って来るという予感がした。そう願った。

そのとき、不安は多少あったにしても、不思議とまがいものだったらどうしようという気持ちはなかった。その時には覚悟が決まっていたのかもしれない。不安がなかったら嘘だが、どきどきとわくわくでいっぱいだった。 

本物なんだな、と言う電話での実感があったし、教えてくれた方の治っていくのを知っていたからだと思う。それに遠方までわざわざ来させる(私が勝手に来たのだが)ということも、よっぽど自分自身に価値を感じている人なんだなと感じていた

森ノ宮という駅で岩波英知先生が来てくれていた(今は迎えに行くことはやってません)。
初めて会った瞬間は実力がありそうな人だな、何か違う感じがした。自信にみちあふれていたし、魂を持った人だった。鋭い眼光を持っていた。それでいて、とても気さくな人だった。後付かもしれないけれど、自分が求めていた人だな、と思ったかもしれない。うれしい予感がより強まった。これからやっていくことへの不安はありながらも、かけてみようという気持ちが強まった。

大阪事務所まで途中、どれだけ症状がきついか聞かれた。そういう人はとても多いよ。よく来ていると言われた。みんな元気になっているよと。動きもエネルギーに溢れていて、悪く言えば落ち着きがない、よく言えば活発な人だと感じた。今まで会ったことがないタイプの人間だったけれど親しみが湧いた。先生と歩いている時、町の人や知り合いの人が明るく先生に挨拶をしていて、先生も元気よく挨拶を返していた(その逆もあった)。
悪い人ではないな、人間力がある人だなと改めて感じた。

大阪事務所に行く

事務所に行く。二部屋あるうちの長ソファーがある部屋に通された。飲み物もついでくれた。
まず忙しい時間をあけてくれたことにお礼を言った(現在は完全集団制です)。
「やる気のある人には時間をいくらでも割くよ」と気さくに言ってくれた。
私自身視線恐怖で、それが心理療法士であろうとカウンセラーであろうと、話すのは苦痛だ。
でもそんな感じはなかった。自分の思っていることとか上手に引き出してくれたし、話しづらさは全くなく、自分が対人緊張、視線恐怖症であることも先生の前ではすでにやわらいでいた。

コミュニケーションの達人だから、こちらも吸収することが多かった。自分の生い立ち(電話で岩波先生に書いてくるように言われた)の紙を見せる。
先生は「今の状態になって当然だよね」と同情してくれた。そして多くの人が同じ症状できているということも。
うつ状態に関しては、その辛さをずっと感じて生きていたら当然落ち込むのも無理は無いと。

社会不安障害や対人緊張になるルーツ

当然自分の生い立ちが、いまの悩みにつながっていることはわかっていた。
でも具体的に、理路整然とつながっていたわけではないし、おぼろげだった。
悩みに陥るには絶対理由があることは今はわかっている。でもはっきりととらえていたわけではない。

紙に社会不安性が、対人緊張になる人生を書いていたとき、きつかった、つらかった、ということだけだった。
ルーツを徹底的に分析することの大切がわかった。
「こことここの出来事が次の出来事に影響を与えて、他の悩んでいない人とは違う人生を送らざるを得なかった」と言われた。たしかにそうだった。
たとえば、私の仲のよかったはずの友達から除け者にされたり、いじめに似た行為は、その後の私にかなり思い影響を残した。
でも、友達とのトラブル、みんな経験しているはず。
でも、それを経験している人は、その後私のように影響を受けていたわけではないわけで、そこでどん底に陥ってしまうのは、さらにその前の時期に何かあったんだろう、といわれた。その通りだった。

社会不安障害になった家庭環境とルーツ

家は「人から嫌われてはいけない」「すべてきちんとやれ」「笑われることをしてはいけない」という家だった。
完璧にやらなくちゃいけないという考えが強かった。
だから、学校で失敗してしまうと親に知られるのが怖かった。のびのび育てられてはいなかった。
母親も父親もそういう教育を受けてきたのだろう。だから強化して私に伝わってしまったのだ。

虐待された人は、自分の子供を虐待するという悪循環と同じく、無意識にやってしまっていたのかもしれない。父親の実家は嫌いだった。
まさにそういう空気がぴりぴり流れていたから。

そのベースを持った人間が、学校で失敗すると他ののびのび育った子供より心理的負担がかかるのは当たり前、と先生に言われ、なるほどと思った。
これだけでもわざわざ大阪に来た甲斐があったと思った。
すごく楽になったし、気分が一気に晴れた。そんなものはまだまだ序の口だったけれども。
気づくこと、心に腑に落ちることはまっさきに必要なことだ。

「うちでは、その整理を徹底的に分析して、まずは頭の上で(表面的に)理解する。その後で、いつもの日常とは違った意識をある方法で作り込んで、心から定着させる」といわれた。
最初はきつい出来事が多く、きついこともあるけれど、次第にほっとできるようになる、といわれた。
自分の過去をしっかり、その後見つめていったが、やはりつらいこともあった。でも同時にすごく安心できた。
今のどうしようもない対人緊張、視線恐怖、うつ病の状態は、自分の過去があったからなんだと思うと、不安や恐怖にのまれることは全くなくなった。

ヒプノセラピーとは全く効果も威力も段違い

他にもどういうことをするのか教えてくれた。ヒプノセラピーは、ある暗示をかけて、そにに患者が反応する。浅い催眠状態になる(私はそこですら反応できず、つらい思いをヒプノセラピーに通っているときした)。さらに暗示をかけ、患者が前よりちょっと深い状態にする。これを繰り返していく、といわれた。
細かいところは覚えていないけれど、ヒプノセラピーはこんなことなんだろう。
もうどうでもいい心理療法であるが。

「うちは違う。いきなりある深い特殊な意識の状態にして、まず脳と体でその感覚を覚え込ませる。そのあとならいくらでも暗示が入るし、反応も早いし、無意識に直接働きかけることができるから、トラウマも破壊できるし、過去のつらい体験にたいするこだわりもなくなり、劇的によくなる」といわれた。
「必ずよくなるよ」といわれ、すごくうれしかった。
「何倍にもとりもどせるようになるから。これからノブくんの時代だよ」と。ここまで言ってくれる人は今までいなかったし、本当に感激した。

改めてインターネットで紹介してくれた人に感謝した。「その人も、昔は相当ひどい状態だけど、どんどんよくなったし、いまは夢を見つけてばりばりやっているよ」といわれた。ますます大阪に通った甲斐があった。
もしあのとき躊躇していれば今はなかったし、ひょっとしたら受ける機会を逸していたかもしれない。


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