しかし、一度心を完全にリセットして、想像してください。
すべてから解放されている自分、自由でのびのびして、なにものにもとらわれていない自分…
それは可能です!
絶対にできます!
不可能なことはありません!
その方法があるんです。
希望を持ちましょう。
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神経症、対人緊張や社会不安障害を治す! 治るために私が大事だと思うこと |
私の経験から得た結論 |
なぜ私が岩波英知先生の心理脳内プログラムに通うまで良くならなかったのか 神経症を克服させる方法はあくまで方法論で実際にできていませんそれまでは、私はまったく医者や心理セラピストに信頼がもてなくなってました 。
メンタルは悪いときは歯止めなく悪化していきます人間は、人生はうまくいくときは、どんどんうまくいくものです。 100の平凡セラピストよりもたった一人の本物との出会いでも、それをすべてできたのは、ひとえに岩波英知という存在でした。神経症克服というのは、たしかに大変です。 簡単にできたらみんな苦しんでいません。 それが、あ、簡単なんだな、と思ったとき、一気に頭にリセットがかかりました。 そんな手強い事じゃないなという実感です。 それができたのは、天才心理脳内コンサルタントの先生の能力がまずベースにありました。 悩んでも人生は一度だけです。そして悩みは決して時間は解決してくれない。 |
私はとても回り道をして、結果が出ました。だけれども、みなさんはダイレクトに神経症解決へと向かってください。 | |||
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リンクを張ってもいいよという人は、メールください。勝手に貼ってくださっても結構です
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さて岩波英知先生のところに通う日がまた来る。
より詳しく人生の悩みのルーツを書いてきた。書いている時は私の人生だからいっそう眉をしかめることだらけだった。
でも、原因がよりしっかりとわかってきたと思う。どうしてこういう状況に陥ったのか、こういう状態はこういうことから来ているなど、分析解説をしてくれた。
いまでもそれは私の心の宝物だ。
トランス状態に入れてもらい、悩まない暗示、発想の転換ができる暗示、モチベーションが上がる暗示をトランス状態でいれてくれた。雑談もしつつ悩みについて話し合った。
次の人が来た。その人はもう治りかけている人なので、うらやましかった。でも昔は対人緊張で相当苦しんだらしい。いまはそんな状態は全く感じられなかった。合宿プログラムで劇的に変われる、と言われた。参加する日が楽しみになった。
その後、数回通った。いつの間にか社会不安障害の症状が軽減していることに気づく。緊張も落ち込みもなくなっていた。緊張しない生き方を教えてもらったこともあるし、暗示も入っていったのだろう。
良くなるときはどんな感じなんだろうと思っていたが、ある時気づくという感じだった。今考えると、「あ、いまよくなっているんだな」と感じながらよくなることはあり得ないんじゃないか、と思う。
よくなることを意識することは、同時に症状も意識していると言うことだから。そういう意味でも、いい感じだった。
あれだけ気に病んで、気になって気になってしょうがなかったことが、気にする必要もない精神状態になっていることは、本当に気持ちよかった。爽快だった。
生きる希望がますます出てきた。一番はモチベーションが高まっていたこと。何も怖いことなんか無いじゃないか。自分自身の生き様で貫き通すぞと決心できていた。
できないことができることの、気持ちの高揚も気持ちよかった。
トラウマ破壊や、無意識からの悩みのルーツの受け入れ、暗示浸透がどんどんすすむにつれて、比例するようによくなっていった。昔の自分はなんて、くだらないちっぽけなことに心を奪われていたんだろうと思った。
紆余曲折があったけれど、もう普通になろうなんて思わなくて、普通じゃない生き方をして普通以上の価値を得ようと思えた。そうなると行動しなくちゃいけない。
臆する心もどんどん少なくなっていったから、最初は勇気が必要だったけれど、社会に飛びこむ事もできたし、自分の目標も定まって邁進するエネルギーもプログラムで身につけていった。考えているだけじゃ神経症は解決しないし、対人緊張も無くなりません。やっぱり動いて自信を獲得することが劇的に良くなる秘訣でした。悩み? そんなものどうでもいい、私は私の人生を生きるのみだと。
実際、みなさんもよくなったときには絶対そう思うと思います。
でも、くだらないことをくだらないまま、価値を大きくして、身動きがとれなくなってしまう、悩みにこだわりを持ってしまう、ということは、それだけ背負っているものが大きい訳ですし、でも、根本から対処していけば大丈夫なものです。執着を外すにはトランス状態を深めることが第一です。悩みの対象がどうでもいい気持ちになります。最初はこだわりがありますが、いずれどうでもいい、それがどうしたという状態になります。
それが岩波英知イズムであり、悩み克服の心理です。
話は前後するけれど、克服スピードの加速を決定づけたものは一週間の合宿プログラムだった。また大阪に行った。本当に劇的だった。一週間、朝から晩まで徹底的に、話し合い、暗示を聞き、ルーツ分析を根っこから受け入れることをし、先生に相談に乗ってもらい、トランス状態の中でさらに暗示を聞き、自分の力で、意識の変容状態(家でやるよりはるかに強烈)をつくりだすことができ、さらに暗示を聞き、ルーツ分析を徹底してやる。とにかくやりまくった。寝食わすれて一生懸命がんばった。
途中で、うつ病がすっかりよくなった人の瞬間を見た(本当に何かとりついていたものが、すっきりとれて、赤ちゃんのような顔になった瞬間を見た)し、よけい励みになった。もう自分の人生がばからしくなった。なんでこんなことにとらわれて苦しまなきゃいけないんだ。
ある決意が生まれた。覚悟と言っていい。もう悩む必要なんかないと心から思っていた。自分の悩みの苦しみすらどうでもよくなった。本当にどうでもいい、くだらない。
人を気にすることもまったくする必要がなくなった。必要がないんだから気になりようがない。
やってやるぞ! 人に攻撃されたら? そんなもの知るか! やるならやってみろ、やれるものならやってみろ、何があっても関係ない、そう思えた。
それもあまり無理せず気張らず素直に。自分がすごく強くなっていた。
その前に、暗示が自分の脳みそにはりつくほど強烈に入り込んでいた実感があった。ダイレクトに暗示がトラウマ破壊から、プラス思考の構築まですべてがはりついた。だから劇的に効果を得たのだ。すごくうれしいという気持ちは不思議となかった。
でも悩む人生は終わったと実感した。
目の前の景色もすべてが晴れ晴れしく見えた。すべてが輝きみずみずしかった。モチベーションもかなりあがっていた。
どんな荒波にも負けない決心ができていた。つまり私は乗り越えたのだ。自分に勝った。
社会不安障害(対人緊張や視線恐怖)、うつ病とはおさらばできた。
私は大きな武器を手に入れることができた。独り立ちしても人生の荒波を超えていける強さを感じることができた。
こんなに自分が強くなれるなんて思いもしませんでした。
もっと早く岩波英知先生と出会っていれば、もっと早く教えてもらえれば、と思った。
1年でも2年でも早くあっていれば、人生を無駄に過ごさなくてすんだからだ。
とはいっても、もう私には怖いものはない。同時に、悩みや神経症は、本当に治りにくいものだから、これに出会っていない人は、一生このまま苦しみ続けて生きていくんだろうなと思ったし、今もそう思っている。
神経症は根本から解決しないと、それも尋常じゃない効果のある方法でやらないと絶対よくなることはない。
そして一度挫折しかけた人生(社会的経歴は別の精神的なこと)ならば、普通の道を辿るでもなく戻るでもなく、ずれた道を突っ走ったほうがエネルギーが湧きます。そしてどうせ守ることにエネルギーを費やすのなら、破れかぶれで攻める姿勢に転換しましょう。
人からどう思われるかではなく、私自身が何をしたいのか、何をやり遂げたいのかの気持を強めて(暗示を入れ込んでそうなりました)、攻守逆転させないと、克服する道のりは遠くなってしまいます。
岩波先生の技術の可能性は無限にあります。無意識処理は神経症悩みにも最適かもしれませんが、自己実現をしたい人にとっても強力な武器です。
人間にはハートがあります。ハートに火をつけることができたら、その人の可能性は無限になると思います。私はそれを肌で実感しました。
岩波先生の暗示の世界やトランス状態というのは、究極の所非常に単純で明快です。それは「やるのか、やらないのか」「できるのか、できないのか」そこに最終的に集約されていると思います。
悩みを悪化させてしまうのが悩むという行為(=考えること)とは対極にあります。
無意識の心を説得できるのはそういう単純で明快なものだけです。そして強力なものじゃなくてはいけません。
それを可能にしてくれる施術を用意してくれるのが先生の心理プログラムといえるでしょう。
瞑想を追求している人も、その何十年の成果を私はもう超えてしまっていると思います。レベルが違っているからです。
手法も脳に切れ込む力も何もかも岩波先生は別次元の人です。その元で一生懸命訓練をした人なら、皆私と同じような感想を持つことでしょう。
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岩波英知先生からは家での課題(岩波式トランス呼吸法)をやってくるように念を押された。
感動と感激でモチベーションがマックスだった私はやり抜く決意を心の中でした。すごい技術を目の当たりにしたんだから、ここで頑張らなくちゃヘタレだと思った。絶対人生を取り戻してやるんだと誓った。
この強い気持が社会不安障害、対人緊張、視線恐怖症、そしてうつ病を克服する手助けになってくれた。
この凄いものならば、根っこからほんとうに悩みが解消できると思った。ルーツの分析も心から受け入れられると感じた。
プラスの暗示もどんどん入る実感があった(まずはマイナスへの執着を減らすことから始める)。
まだまだいろいろなことはわからないし未知だらけだけど、あり得ないからこそ生じるものなんだなと思った。あんまり考えずに取り組むだけと気持を切り替えた。
絶対よくなる、という言葉はその自信から来ていたんだな、と思った。
この経験をしていない人はかわいそうだと思った。なんて自分は幸運なんだろう、と思った。
「その状態に近い状態が、家でも努力すれば、作り込めるようになる」といった。「試しにゆっくり呼吸してごらん」と言われた。目を閉じて、興奮冷めやらぬ中、ゆっくり呼吸してみた。
自律訓練法でつくった、ある感覚を、ただの呼吸数回で超していた。自律訓練法で、緊張をなくそうとしていた努力は何なんだろうと思った。ああ、もっと早く岩波先生に出会いたかった、と痛感した。
お金を現金の一括で払った。もう希望で胸がいっぱいだった。その凄さ故に本当に安く感じた。今日一日だけで払う価値があると思った。
他のところがいかに効果がなくて安いお金を取っているのか。先生が高い料金を取っているのは、自分の実力への自信だし、効果がそれ以上にあるからだ。当然のお金だろう。もっと高くとってもいいくらいだった。
私が金持ちになったら、何倍もあとで返したい、と思った。なお現在の私は先生のおかげで人よりもお金を得られる立場になることができているが、未だに先生に恩返しができていない。いつか何倍にも返したい(だが先生は受け取らない人だが)
私は、絶対治る! という確かな実感と希望を持って夜行バスで帰った。興奮して眠れなかった。
ついに最高のプログラムと出会ったんだ、と。もう悩みとは無縁に生活になれる。うれしくてうれしくてたまらなかった。
目を閉じると、すごいトランス状態の感覚(といっても後から見ると大したことがない深さ)を味わっていたら、すーっと変性状態に入った。自分でもできるんだと感動しながら浸っていた。
そういえば、岩波先生から「想像力がいい方だな」と言われた。なるほど呼吸をしなくても思い出すだけで、気持ちいい感覚に浸れた。この想像力も大きな力になってくれた。いつでもリラックス感を思い出すだけで、体まで反応してくれるのだから。更に自分を深い感覚まで引っ張れる。
東京に通うことになった。うまい具合に合宿プログラムに参加した人が卒業したので、空きが出た。
まずは合宿に参加したかったけれど、入ったばかりのため、通いから始めることにした。といっても、全く効果が違っていたが。
家で呼吸の訓練をとにかくしまくった。時間があれば、家にいても電車に乗っても公園にいても、とにかくそればっかりやっていた。みんな努力していたし、その人の何倍ももっと努力してやる、と決意した。人と一緒にやるととても刺激を受ける。ますますモチベーションがあがった。
家の中での訓練で、完全に無意識とつながる状態を作ることができた。あれだけ自律訓練法がだめで、他者催眠でも入れなかった私が、自分の力で、先生の言われたとおりやり、まったく違う意識が作ることができるようになった。だからよけい、がんばった。呼吸法はやればやるほどいい。
でも最初はうまくいかない人もいるかもしれません。いろいろな不安や苛立ち不安に襲われるからです。
そういう人はその中でもやろうと決心することと、悪い条件が自分の身に降りかかろうが、できる範囲で苦しくない程度に息を吐くことだけをしてください。
あと体が堅い時、落ち着くことができないので呼吸も苦しくなります。ストレッチを入念にやって、お風呂に入って体を緩めてからやりましょう。
ストレッチにしてもしっかり味合わなくちゃいけない。そしてがむしゃらに取り組むこと。雑念という障害があってもいいからがむしゃらにその中でやることです。
そうしたら、必ず突破口が開けます。
私も最初うまくいってて、急にうまくいかなくなりました。助平心で呼吸法をもっとうまくやろうと意図的にやってしまったからです。でも気持を切り替えてそういう思考で立ち向かったら、あとは順調に上達していきました。
当然トランス状態もありえない状態を通り越したありえなさに到達しました。悩んでいる事自体どうでも良くなりました。
想像力が豊富な人は体が緩んで気持ちいい状態を思い浮かべながら浸りきってやると効率よく呼吸もできます。呼吸や暗示、トランスには知恵は不必要です。いろいろな思考を重ねてもトランスにならないばかりか、ますますトランスから遠のいてしまい、イライラしたり落ち着かなくなるだけです。
基本的にこちらが悩みを話して、先生が聞くというスタイルではない。どちらかというと、けっこう話が色んな所に飛んだりする。
そして岩波英知先生が悩み解決のヒントをくれる時は、自分自身の体験を通した話をする。「こうしたほうがいいよ」ではなく、「俺はこうしてきた」とか良くなった人の例を出して「こういう思考や生き方をしたから良くなった」と体験に即して話をする。
つまり実績があることで解決のヒントをくれる形だ。
人の話を途中で遮ることもあるが、言いたいことは先生にはっきり伝えた方がいいと思う。雑談も多いが先生のペースで話をするのではなく、目的意識を持って話したいことをちゃんと把握してから通うといいと思った。
あと、先生の心理脳内プログラムはカウンセリングではないということを明記しておきたい。話も一流だけど、一番の問題は潜在意識にこびりつくトラウマ、悩み、抑圧の処理だ。それができるからこそ、超一流の鬼才だ
。話を聞いてもらうだけでは社会不安障害も神経症も決して治らない。
それに自分の無意識との対話ができるから、カウンセリングをして人に話を聞いて貰う必要はない。でも、どんな悩みかの把握はしてくれると思います。
ちなみに名前を覚えられないのは相変わらずで、もし覚えて欲しいのであれば、(地名)の(氏名)という順番に言えば、先生もすぐ把握してくれると思います。名前は覚えられないが、話した内容の隅々までよく覚えてくれている人ではありますが。
ついにクライマックスがきた。「ちょっと試してみようか」と言われた。なにを? と思ったが、すごい深い特殊な意識の状態、つまりトランス状態にある方法で入れてくれた。
誘導技術は絶品だった。言葉では説明できないが、究極と言っていいくらいだった。まさに本物のプロだった。
岩波先生にしか為し得ない圧倒的な技術だ。「息を吸って、吐いて、また吸って、さらに吸って、そこで止めて、フーっと吐いて」というようなことを言われた。その瞬間・・・・・
ぱっと目が覚めた。
何がなんだかわからなかった。自分の人生の走馬燈か、過去のつらい記憶か、何か知らないけれど、脳を駆けめぐった。すごくリラックスした感情で、誰かが笑っている感じがした(もしかしたら、その体験を喜んでいる自分かもしれない)。これがトランス状態というんだ、と思った。
メールで教えてくれた人も、すごいと言っていた。ぜったい他では味わえないし、あんなすごい経験をさせてくれる人なんか世界に探してもいっこないとおもった。
催眠? 比べ物にならない。ありえないほどすごくて、ありえないほど不思議な感覚だ。
感激と衝撃の体験で涙が出てきた。いままでつらいことがあったけれども、もうこれから解放される。抑圧されたものが出てきたんだなと言われた。
本当に遠くまで来てよかったと思った。岩波先生に出会ってよかった、と思った。これほどの達人が日本にいたのか!
「そうとうつらかったんだね」と言ってくれた。涙がさらに出たけれども、それ以上に喜びの方が大きかった。
もっと早くに知っていればよかった、と後悔した。「みんなそう言うね」と先生は笑っていた。
ある深い特殊な意識の変容状態とはこういうことだったんだ、と思った。こればっかりは体験しなければ絶対伝えられない世界だ。無意識にダイレクトに暗示が届いて、トラウマも破壊したり、悩みへのこだわりや敏感な神経を静めたりすることが、これなら可能だと思った。
脳みそは偉大だ。最初のトランス状態は、次回、次々回さらに更新する。それまでの感覚がより深くあり得ないくらいの「凄すぎる」体感に変わる。
人によって差はあるけれど、「インパクト」「衝撃」「無」の状態だけだったのが、抑圧がほとばしったり、感激としか言いようがない状態になったり、あり得ないリラックス感に叩きのめされた感じにもなる。感情がいい意味で洪水を起こしてもくれる。
ひたすら恍惚感の中にいることもある。これは先生から出される課題と訓練をこなしていけば「誰でも」可能だ。
ただし、色んな雑念や恐怖感がついて回る人いる。そこを乗り越えたら(神経症克服にはいずれ乗り越えなければいけない)、もう心地よいとしか言えないあり得ない感覚を味わえる。あり得ないと何ども書いてしまったけれど、本当にあり得ない。
そして自律訓練法やヒプノセラピーをやった私から見たら、自力でもトランス状態に近づけるようになる。一瞬「無」の状態になることができるし、自己暗示を入れることもできるようになる。
無意識はどこまでいっても深いし、脳にも限界はないんだなと思うぐらいにその感覚体験はあり得なかった。
初回のトランス状態ものちのちたいしたことがない深さだった。
(ネクスト)岩波英知先生のプログラムの効果と訓練
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森ノ宮という駅で岩波英知先生が来てくれていた(今は迎えに行くことはやってません)。
初めて会った瞬間は実力がありそうな人だな、何か違う感じがした。自信にみちあふれていたし、魂を持った人だった。鋭い眼光を持っていた。それでいて、とても気さくな人だった。後付かもしれないけれど、自分が求めていた人だな、と思ったかもしれない。うれしい予感がより強まった。これからやっていくことへの不安はありながらも、かけてみようという気持ちが強まった。
大阪事務所まで途中、どれだけ症状がきついか聞かれた。そういう人はとても多いよ。よく来ていると言われた。みんな元気になっているよと。動きもエネルギーに溢れていて、悪く言えば落ち着きがない、よく言えば活発な人だと感じた。今まで会ったことがないタイプの人間だったけれど親しみが湧いた。先生と歩いている時、町の人や知り合いの人が明るく先生に挨拶をしていて、先生も元気よく挨拶を返していた(その逆もあった)。
悪い人ではないな、人間力がある人だなと改めて感じた。
事務所に行く。二部屋あるうちの長ソファーがある部屋に通された。飲み物もついでくれた。
まず忙しい時間をあけてくれたことにお礼を言った(現在は完全集団制です)。
「やる気のある人には時間をいくらでも割くよ」と気さくに言ってくれた。
私自身視線恐怖で、それが心理療法士であろうとカウンセラーであろうと、話すのは苦痛だ。
でもそんな感じはなかった。自分の思っていることとか上手に引き出してくれたし、話しづらさは全くなく、自分が対人緊張、視線恐怖症であることも先生の前ではすでにやわらいでいた。
コミュニケーションの達人だから、こちらも吸収することが多かった。自分の生い立ち(電話で岩波先生に書いてくるように言われた)の紙を見せる。
先生は「今の状態になって当然だよね」と同情してくれた。そして多くの人が同じ症状できているということも。
うつ状態に関しては、その辛さをずっと感じて生きていたら当然落ち込むのも無理は無いと。
当然自分の生い立ちが、いまの悩みにつながっていることはわかっていた。
でも具体的に、理路整然とつながっていたわけではないし、おぼろげだった。
悩みに陥るには絶対理由があることは今はわかっている。でもはっきりととらえていたわけではない。
紙に社会不安性が、対人緊張になる人生を書いていたとき、きつかった、つらかった、ということだけだった。
ルーツを徹底的に分析することの大切がわかった。
「こことここの出来事が次の出来事に影響を与えて、他の悩んでいない人とは違う人生を送らざるを得なかった」と言われた。たしかにそうだった。
たとえば、私の仲のよかったはずの友達から除け者にされたり、いじめに似た行為は、その後の私にかなり思い影響を残した。
でも、友達とのトラブル、みんな経験しているはず。
でも、それを経験している人は、その後私のように影響を受けていたわけではないわけで、そこでどん底に陥ってしまうのは、さらにその前の時期に何かあったんだろう、といわれた。その通りだった。
家は「人から嫌われてはいけない」「すべてきちんとやれ」「笑われることをしてはいけない」という家だった。
完璧にやらなくちゃいけないという考えが強かった。
だから、学校で失敗してしまうと親に知られるのが怖かった。のびのび育てられてはいなかった。
母親も父親もそういう教育を受けてきたのだろう。だから強化して私に伝わってしまったのだ。
虐待された人は、自分の子供を虐待するという悪循環と同じく、無意識にやってしまっていたのかもしれない。父親の実家は嫌いだった。
まさにそういう空気がぴりぴり流れていたから。
そのベースを持った人間が、学校で失敗すると他ののびのび育った子供より心理的負担がかかるのは当たり前、と先生に言われ、なるほどと思った。
これだけでもわざわざ大阪に来た甲斐があったと思った。
すごく楽になったし、気分が一気に晴れた。そんなものはまだまだ序の口だったけれども。
気づくこと、心に腑に落ちることはまっさきに必要なことだ。
「うちでは、その整理を徹底的に分析して、まずは頭の上で(表面的に)理解する。その後で、いつもの日常とは違った意識をある方法で作り込んで、心から定着させる」といわれた。
最初はきつい出来事が多く、きついこともあるけれど、次第にほっとできるようになる、といわれた。
自分の過去をしっかり、その後見つめていったが、やはりつらいこともあった。でも同時にすごく安心できた。
今のどうしようもない対人緊張、視線恐怖、うつ病の状態は、自分の過去があったからなんだと思うと、不安や恐怖にのまれることは全くなくなった。
他にもどういうことをするのか教えてくれた。ヒプノセラピーは、ある暗示をかけて、そにに患者が反応する。浅い催眠状態になる(私はそこですら反応できず、つらい思いをヒプノセラピーに通っているときした)。さらに暗示をかけ、患者が前よりちょっと深い状態にする。これを繰り返していく、といわれた。
細かいところは覚えていないけれど、ヒプノセラピーはこんなことなんだろう。
もうどうでもいい心理療法であるが。
「うちは違う。いきなりある深い特殊な意識の状態にして、まず脳と体でその感覚を覚え込ませる。そのあとならいくらでも暗示が入るし、反応も早いし、無意識に直接働きかけることができるから、トラウマも破壊できるし、過去のつらい体験にたいするこだわりもなくなり、劇的によくなる」といわれた。
「必ずよくなるよ」といわれ、すごくうれしかった。
「何倍にもとりもどせるようになるから。これからノブくんの時代だよ」と。ここまで言ってくれる人は今までいなかったし、本当に感激した。
改めてインターネットで紹介してくれた人に感謝した。「その人も、昔は相当ひどい状態だけど、どんどんよくなったし、いまは夢を見つけてばりばりやっているよ」といわれた。ますます大阪に通った甲斐があった。
もしあのとき躊躇していれば今はなかったし、ひょっとしたら受ける機会を逸していたかもしれない。
私と岩波英知先生 すべてが別格 評判の高い先生と自己正常化プログラムとの出会い |
岩波英知先生との電話電話して一番最初に驚いたことは、岩波英知先生は自信家だということだった。 緊張していたが話しているだけでほっとしてきた。このお方は何か違うな、でも気さくで力強い声だった。 やはり能力者は何かが違うしかし「催眠状態なんて比じゃなくて遙かにすごい世界を味わえる」と言われた。 世界で先生にしかできない脅威の克服技術もしビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、ハワード・ヒューズ(この人はがちがちの強迫神経症患者)といった大富豪が、岩波先生のところに通ったとしたら、症状を治すために数億円簡単に出すだろう。 |
岩波英知先生の技術との出会い 神経症克服プログラムの感想 |
すべてはメールから始まった。書かれてあった内容はいまはもうはっきり思い出せないけれど(それだけ私の頭は混乱していたのかもしれない)、私はこれだと思った。これしかないと思った。 その能力があるという岩波英知先生に会いたいと思った。でも別の考えがよぎった。でも、自分ではまた駄目だろうな、と思った。他の人は良くても私だけは無理だと。 その希望と不安が入り交じった中、その方にいろいろと教えてもらった。対人緊張で克服経験のある方だった。生い立ちなど私に凄く似ていてびっくりした。同じ悩みの人はいることは知っていたけれど、生い立ちまで凄く似ているのは驚いた。似たような環境から似た症状になるものだ。 同時に希望が出てきた。その方が、治ったんだから私もできるかもと思った。大丈夫とおっしゃってくれた。でも料金は4*万円だった。とても自分には払えない金額だった。(仕送りをいままではいろいろとヒプノセラピー・森田療法に費やしてきた。もっと早く知っていれば、と思った)。 とにかく先生と話をしたかった。でも、予約が取れないらしい。かなり先まで待つとのことだった。でもどうしても受けたい気持ちがあった。絶対お金を貯めます、と真剣に頼んでみた。 もう父親にいってお金を借りようと思った。特別に岩波先生という方の連絡先を教えてもらった。電話で話した。これはもう間違いないと思った。これは直感だった。本物だと感じた。この人はなにか自信がありそうだし、自負心を持って生きている。そしてこの直感はあたっていた。 私の想像の何百倍も、通ってから本物だと感じた。。まだ先生の能力を目の当たりにもしていないのに、もうやる気十分だったのは何でだろう。自分はこのときカケに出ていたのかもしれない。 これが駄目なら終わりだとまで思っていた。命を投げ出すぐらいの気持ちだったから、なにか感覚的な鋭さが出たのかもしれない。わからないが、何かがわかっていた。本当に実力のある先生だと言うことが。 理性で判断した者じゃなくて、動物的な本能で判断したのかもしれない。フィーリングがあったのは間違いない。 |
対人緊張、社会不安障害の罠に陥ってから-大学生 |
なんとか大学に通い始めた。大学はさぼれるところと聞いていたので、気が楽になった。一人暮らしをはじめた。友達も知り合いも誰もいずに孤独だった。生きていかれるんだろうかと不安だった。 自殺をまた考えた。ヒプノセラピーや森田療法で治らなかったらそうしようと思った。森田療法は入院しなくちゃいけないので、通えるヒプノセラピーに助けを求めた。 とにかく本物の心理療法を探し求めていた。圧倒してくれるぐらいの本物を探していた。圧倒してくれるといっても、宗教とか前世療法とか本当に胡散臭く感じていた。あんなものに頼っちゃおしまいだまで思っていた。 |
神経症の罠に陥ってから(社会不安障害・視線恐怖症・対人恐怖・対人緊張・手の震え・どもり・うつ病へ) |
高校は周りの人間がどうこうということではなくて、私の中の自分にめちゃくちゃにされた。自分の気にしない、という意識とは逆に何倍も気になってしまう状態になった。 ※相互リンクしてくださっているナラさんのブログ 表情恐怖症・笑顔恐怖症! 表情恐怖症から解放された私の記録 自分の視線が相手に恐怖を与えているんじゃないか、とか嫌な感じを与えているんだ、という妄想にちかい強迫観念があった。自己視線恐怖症というものだった。 何にもいいことが無く、ただつらさと苦しさと不安と緊張とやるせなさと劣等感と恐怖と罪の意識をただただ堪え忍んでいた。 あまり期待をかけていなかったが、少しでも対人恐怖による神経の暴走を沈めようと、自律訓練法のテープ(CD)を購入した。でも何にもならなかった。交感神経の高ぶりは、自律訓練法ごときで抑えられるわけがない。表面上をただなぞるだけのものだ。 |
高校生で神経症になるまで |
私立中学に入学した。小学校時代の窮屈さやしがらみから解放されるとおもって、少しは希望をもった。電車で遠いところにある中学に行ったので、すべてが変わると思った。でも何も変わらなかった。よけいひどくなった。 それでも最初は環境が変わり、心機一転の心境だった。でも、クラスの中で派閥を皆作り始めた。そしてその派閥以外のグループとは疎遠の状態だった。だから、孤独感は余計強まった。 高校に入った。がちがちに人前で緊張していた。国語や英語で発表があったり、当てられたりすることがある。中学までは、いやだったけれど、それなりに読めていた。 目立たないようにしようと思っていたことが、自分の症状のせいで目立ってしまうし、嫌われないようにしようと必死で心に誓ったのに、嫌っている奴も(最低限気に入らないぐらいでもいやだった)いたし、みんなから好かれたいのにそれもかなわなかった。 細かいことはいくらでもあるけれど、それ以後の自分に比べれば、まだまだ序の口だ。まだまだこのころまでは生きられたし、ハンデはあったけれど、死を予感したことはなかった。 |
学生時代の思い出-小学生まで |
幼児期の頃から、ああしろ、こうしろ、恥をかくな、良く思われろ、という教育を受けてきた。人目を気にしやすい母親・厳格で融通がきかない感情を表に表さない父親のもとで育った。 友達やクラスメートにちょっかいを出されるようになった。一応友達だったやつだが、いつも私のことを無口だの、もっとしゃべれ、だの言う。また目が潤んでいるので、なんで泣いているの? なんてよくいわれた。 学校は楽しくなかった。楽しいときもまあまああったが、トータルでみれば、やっぱり高校生に神経症という悪魔におそわれるだけの材料はたくさん収集していた。だからきつかったと言えると思う。いつも自分を守り続けていた。 異様に人からの評価が怖かった。通知票が怖かった。保護者面談が怖かった。 中学受験をすることになった。自分だけ違う進路に行くと、クラス中の生徒になにか噂されたり、疎外されるんじゃないかと怯えた。こんなくだらないことまで気を病んでいた。人と違ったことをしたくなかった。 近くの進学塾に通った。5年生からだ。でも一年ちかく、ほとんど友達ができなかった。話しかけるきっかけがなかった。みんな自分より前から入っている人ばかりだったから、私が話しかけると変に思われはしないか、と気にしていた。 うんこをクラスで漏らしてしまったことがあった。トイレに行きたい、と言えなかったのだ。だからついに我慢できなくなって、出てしまった。 みんなからシカトごっこの標的にされたこともある。何をやっても話してくれないし、話しても反応しない。こんなことをされるのは自分が悪いんだと思った。他の奴はされていないのに私だけされるには、絶対理由があるに違いないと思った。 |
多かれ少なかれ、皆さんも同じ苦しい思いを経験されていると思います。
私はある最高の出会い(岩波英知先生との出会い)を経て、劇的にと言っても過言でないほど、対人恐怖やうつ病が良くなりました。
おつりが来るくらい失ったものを取り戻すことができました。
それは今現在も続いています。
生きていることが楽しいからです。
私生活でも相性ぴったりの妻と子供にも恵まれました。
生きることはこんなに楽しいものか、同じ人間でもたった一つ考え方でこうも変わるものですね。
もし悩んでいたままで結婚し、子供が生まれていたら(ありえない未来ですが)、子供にも私の神経症が悪い影響を与えてしまうことにも悩んでいたでしょう。
子供には私と同じ人生を歩んでほしくなかっただけに、今も私の人生はとてもハッピーです。
子供はうまく対人緊張とは無縁の成長してくれています。
私には自信と強さと覚悟の力が身につきました。
一度きりの人生、もう苦しむのではなく、とにかくやっちゃおう。
それではじめて悩みのエネルギーを取り戻せます。
一度神経症のせいで道をずれたら、私に安寧の地はない。
だからやるのみだという心境に達しました。
それからはすごく楽になりました。
いらないと思った安寧の地がすぐそこにあったのです。
でもそこでいい状態を維持してやろうとは期待はしないで、その安寧の地すらもけっ飛ばしてはじめて長期的に心の平温を獲得できました。
でも、そこに至るまでのあの苦しさはとんでもない地獄でした。
だから、一刻でも早く対人緊張や視線恐怖症・赤面恐怖症、うつ病で悩まれている方に力になりたいと思っています。
出口の見えない不安が、このページと出会うことで解消されればと思います。
ずっと人生は地獄なのではないです。
必ず抜け出せる日が来るものです。
やるべきことをやれば。
やらなければ本当に終わってしまいます。
それぐらい神経症、社会不安障害、対人緊張はやばい症状です。
何もしないまま放置すると自殺したほうがマシなぐらい地獄になります
自分が一番どうしようもできないものですし、自分しか自分をどうすることもできないのも事実です。
しかし自分を攻略するためには、強力な武器が必要です。
その武器を与えてくれる存在と出会えたことは幸運でした。
みなさんも、ぜひ自分の人生に奇跡を起こしてください! 応援しています!
少しでも苦しみが軽減すること、それがほんのちょっと先に対人恐怖など、きつくてたまらない神経症を改善した私の役割だと思っています。
だって、良くならなかったら破滅しかないのですから。
私が神経症克服プログラムや岩波英知先生(こんな人っているのか!というぐらいすごい鬼才です)に出会っていなかったら、そのラインの先の未来は自殺か生き地獄しかありませんでした。
ある時に突然良くなっているとか、いつか良くなって悩みを克服しているなんて幻想は、その名の通り幻想にすぎません。
どうしても今の状態から抜け出して、克服したいという心を持っている人は、希望はあります。
私のように良くなれます。私は今強くなれたと思います。
そもそも神経症といわれるレベルになったのは、高校時代でした(小学生からもちろん兆候はありました)。
以来十五年精神科・心療内科・カウンセリング・ヒプノセラピー・森田療法と渡り歩いてきました。
いくらお金を費やしたでしょうか。
失ってきたお金や時間、本当にもったいないことをしてきた人生でした。
贅沢も当然許されず、いかにお金を使わないで貯めていくかだけ考えていました。
お金を派手に使うこともできず、神経症の苦しさと一緒に、生活も制限される悔しさに涙しました。
私は何でくだらないことにお金をつかわないといけないのだろう。
みんなそれぞれ趣味にお金を費やせるのに。悔しさいっぱいでした。
一生死ぬまでこの苦しむ状態が続くのか・・・・といつも暗鬱な気持ちでした。
もがき苦しむ人生をなんで自分は送らなきゃいけないんだろう、いつも自問自答していました。
答えはまったく出なかったです。
なんで私だけがこんなくだらない!症状で苦しまなければならないんだろう。
苦しみの生け贄に選ばれるタイプの人間なんだろうか?
毎日をびくびくしながら、挙動不審に思われながら、馬鹿にされながら、生きなければならないんだろう、とくさくさしたり嘆いたり、鬱積した感情でいました。
考えれば考えるほど、対人緊張や社会不安障害の悩みは私を容赦なく襲いました。
考えたら負けだとはこの時は気づいていませんでしたから、やることは考えることと余計悩むことでした。
どれだけ部屋で一人で悔し涙にくれたことでしょうか。
大の大人がクタクタになって、身も心もズタズタになっていました。
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神経症、私の場合は社会不安障害(対人緊張、視線恐怖症、赤面症)やうつ病、は自力で治すことは何よりも難しい症状です。
神経症の罠に陥った人は、その人の願望や精一杯の努力にかかわらず、悩みの悪循環を加速させ、一生神経症にとらわれ続けて生きていくという統計すらあります。
こればっかりはいくらお金があっても地位が高くても解決できない問題です。実際に多くの芸能人や有名人、歴史に名前を残した人が、悲惨な人生を送らざるを得なくなっています。
だからといって、神経症克服をあきらめたらそこで試合終了です。
希望があれば何でもできるし、希望がなくちゃ生きている意味が見いだせません。
私は出口の見えない暗闇の中でもがいているみなさんの手助けがしたいです。
そのための私の体験記です。
二度と私と同じ苦しい思いを体験してほしくないですし、これ以上悩み続けることもして欲しくありません。
特に社会不安障害、対人恐怖、視線恐怖症、赤面症、うつ病と言われた人、その自覚がある人を勇気づけたいです
絶望の淵にいる方の力になりたいです!
社会不安障害、対人緊張の壁を越えるには、潜在意識に訴えかけて神経症の元凶を解消していける強力な心理プログラムを受けることが一つ。
悩み克服のエキスパート中のエキスパートに出会うことが一つ。
徹底的に自分の全力をかけて、神経症退治に取り組むことが一つ(自力でやり方を間違えるともっと悪化していくだけです)。
これは覚悟と勇気も必要となるし、自分を変えるための意志も必要になります。
自分と対峙する以上、必要不可欠な武器にしなくてはいけません。
その三つがあれば必ずあなたも神経症の灰色の世界を一変できます。
社会不安障害、対人緊張になった原因は己の中にあるのなら、必ずあなた自身が力を借りることで解決できるはず。
すべての問題の発生は無意識・潜在意識レベルにこびりついた病因と感情的抑圧が、根性と知恵での解決を不可能にしています。
逆に言えば、無意識潜在意識レベルから根こそぎ解決できる方法があるならば、希望を見いだせるとは思いませんか?
もう神経症を治すことが不可能だと諦めていませんか?
諦めてはダメです! 神経症を解決することは奇跡と思えるかもしれないですが、実際に私は解決できました。
つまり、自分の無意識に奇跡が起こったのです。
私は実際に信じられない程の効果を得ることができました。
人生は二度と送り直すことはできない貴重な時間です。
是非とも自分の時間を取り戻して、悩みとは無縁の強い自分を取り戻しましょう!
あなたはまだ終わっていません! 希望を取り戻せます!
しかし根本解決できないと地獄から抜け出せることはないと思います。
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