岩波英知自己正常化プログラム口コミブログ Dr.Strangelive または私は如何にして対人緊張で苦しむのを止めて自分を愛するようになったか

☆人生を地獄に突き落とした対人緊張、社会不安障害、対人恐怖、視線恐怖症、赤面症、そしてうつ病 その私がいかにして劇的に神経症を克服できたか。 岩波英知先生の自己正常化プログラムを受講したブログ主の口コミ体験談 その効果やすごさについて ☆私に奇跡を起こしてくれた岩波英知先生の神経症克服プログラム(自己正常化プログラム)の体験記や感想、ガイド 社会不安障害(対人緊張や視線恐怖症)・うつ病で苦しんだ修羅場の体験記 このブログを同じ対人緊張で人生を苦労の連続にしてしまった人へ捧げます

タグ:対人緊張

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対人恐怖や社交不安障害の真っ只中にいる人は、治っている自分が想像できません。

しかし、一度心を完全にリセットして、想像してください。

すべてから解放されている自分、自由でのびのびして、なにものにもとらわれていない自分…

それは可能です!

絶対にできます!

不可能なことはありません!

その方法があるんです。

希望を持ちましょう。


この対人緊張の体験談を書いているブログの目次です。カテゴリー別で分けています

  
 

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神経症、対人緊張や社会不安障害を治す! 治るために私が大事だと思うこと

私の経験から得た結論

なぜ私が岩波英知先生の心理脳内プログラムに通うまで良くならなかったのか
そして、通ってから、良くなったのか

この二つを考えていくと、自ずと一つの結論に達します。
この大きな違いは何なんだろう? 
結局は専門家・施術者の能力につきます。
かといって、すべて施術者任せにするのではなく、あくまで自分が治ってやるという意気込みがプラスされた方がいいです。
たしかに飛び抜けた存在ですし、他に二つと無いプログラムです。
他の専門家がどんなに努力しても追随できないといえるくらい貴重だと思います。
でも、呼吸をしてくるのも自分、自己暗示を入れるのも自分(先生も暗示をかけますが時間から言うと自己暗示の方が圧倒的に多いです)です。
だから、主体性を持ってプログラムに取り組みましょう。
自分自身の心の手強さを知っている人ならなおさらです。

神経症を克服させる方法はあくまで方法論で実際にできていません

それまでは、私はまったく医者や心理セラピストに信頼がもてなくなってました 。
なんでしっくりいかなかったかというと、期待が持てなかったからです。
だから通っていても、いくのがめんどくさい気持ちを持って通っていたのを思い出します。
惰性で通っていたのです。


惰性に陥ってしまうなら、通わない方がいい。
そのお金と時間を、別のものに振り分けた方がいいです。
本物の施術者は、最初から、ガチッとくるものなのです。
毎回毎回新鮮な驚きと、効果を感じられるから、期待を込めて通っていました。
当然、よくなってやる! という積極的な気持ちもどんどん出てきました。
対人緊張や鬱から脱出できる出口が見えてくるから、落ち込み具合もどんどん減ってきました。

メンタルは悪いときは歯止めなく悪化していきます

人間は、人生はうまくいくときは、どんどんうまくいくものです。
悪循環のどん底の時は、絶対何をしても、どんなに抗ってもうまくいかない。
悪循環から好循環の人生になる秘訣は、悪循環の元になっている、そうせざるを得ない過去の人生の問題を消滅させていけばいいわけです。

消滅と言っても、起こったことはもう取り返しがつかないから、問題でなくせばいいわけです。
無意識がちょっかいを出さないように、ただの事実として残ればいいわけです。
そうすれば、時効となり、重みが一気にとれます。

そのとき、私は本格的に乗り越える直感がしました。
理論的にも、感情的にも、これで良くなるな、と言う確かな予感がしました。
ぴったりはまった、と言っていいと思います。
原因がわかってるんだから、あとはそれに対処していけばいい。

100の平凡セラピストよりもたった一人の本物との出会い

でも、それをすべてできたのは、ひとえに岩波英知という存在でした。
神経症克服というのは、たしかに大変です。
簡単にできたらみんな苦しんでいません。 
それが、あ、簡単なんだな、と思ったとき、一気に頭にリセットがかかりました。
そんな手強い事じゃないなという実感です。 
それができたのは、天才心理脳内コンサルタントの先生の能力がまずベースにありました。

悩んでも人生は一度だけです。そして悩みは決して時間は解決してくれない。
もう悩んでしまったのならばしょうがない。乗り越えるしか道はないと思います。
乗り越えて悩んだエネルギーを何倍にもして取り戻す、そういう主体性を持っている人ならば、必ず乗り越えられるだけの強い武器を岩波先生はその技術で与えてくれるはずです。

社会不安障害、対人緊張にいつまでも苦しめられる悪循環を破壊してください。
あなたならが必ず成し遂げられます!

 

私はとても回り道をして、結果が出ました。だけれども、みなさんはダイレクトに神経症解決へと向かってください。
それだけのものがこの心理・脳内プログラムと岩波先生にありましたから。

このホームページが、神経症を解決するための大きなきっかけになることを願ってやみません。
神経症や心の悩みはすべてから光を奪ってしまいます。 

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本気で神経症を克服したい方、メールを待っています。
力になりたいです。私と同じ苦しみはすぐ終わりにしてください。
最近、神経症克服プログラムは予約が多く、断られているケースが続出しているそうです。
それでもあきらめないでください。私もそんな人の力(紹介者優先のため)になりたいと思います。メールを下さい

リンクを張ってもいいよという人は、メールください。勝手に貼ってくださっても結構です


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社会不安障害、対人緊張の原因を根本から解消

さて岩波英知先生のところに通う日がまた来る。
より詳しく人生の悩みのルーツを書いてきた。書いている時は私の人生だからいっそう眉をしかめることだらけだった。
でも、原因がよりしっかりとわかってきたと思う。どうしてこういう状況に陥ったのか、こういう状態はこういうことから来ているなど、分析解説をしてくれた。
いまでもそれは私の心の宝物だ。

トランス状態に入れてもらい、悩まない暗示、発想の転換ができる暗示、モチベーションが上がる暗示をトランス状態でいれてくれた。雑談もしつつ悩みについて話し合った。
次の人が来た。その人はもう治りかけている人なので、うらやましかった。でも昔は対人緊張で相当苦しんだらしい。いまはそんな状態は全く感じられなかった。合宿プログラムで劇的に変われる、と言われた。参加する日が楽しみになった。

その後、数回通った。いつの間にか社会不安障害の症状が軽減していることに気づく。緊張も落ち込みもなくなっていた。緊張しない生き方を教えてもらったこともあるし、暗示も入っていったのだろう。
良くなるときはどんな感じなんだろうと思っていたが、ある時気づくという感じだった。今考えると、「あ、いまよくなっているんだな」と感じながらよくなることはあり得ないんじゃないか、と思う。

よくなることを意識することは、同時に症状も意識していると言うことだから。そういう意味でも、いい感じだった。
あれだけ気に病んで、気になって気になってしょうがなかったことが、気にする必要もない精神状態になっていることは、本当に気持ちよかった。爽快だった。
生きる希望がますます出てきた。一番はモチベーションが高まっていたこと。何も怖いことなんか無いじゃないか。自分自身の生き様で貫き通すぞと決心できていた。
できないことができることの、気持ちの高揚も気持ちよかった。

トラウマ破壊や、無意識からの悩みのルーツの受け入れ、暗示浸透がどんどんすすむにつれて、比例するようによくなっていった。昔の自分はなんて、くだらないちっぽけなことに心を奪われていたんだろうと思った。
紆余曲折があったけれど、もう普通になろうなんて思わなくて、普通じゃない生き方をして普通以上の価値を得ようと思えた。そうなると行動しなくちゃいけない。
臆する心もどんどん少なくなっていったから、最初は勇気が必要だったけれど、社会に飛びこむ事もできたし、自分の目標も定まって邁進するエネルギーもプログラムで身につけていった。考えているだけじゃ神経症は解決しないし、対人緊張も無くなりません。やっぱり動いて自信を獲得することが劇的に良くなる秘訣でした。悩み? そんなものどうでもいい、私は私の人生を生きるのみだと。

トラウマが無意識に抑圧されていると神経症は治らないです

実際、みなさんもよくなったときには絶対そう思うと思います。
でも、くだらないことをくだらないまま、価値を大きくして、身動きがとれなくなってしまう、悩みにこだわりを持ってしまう、ということは、それだけ背負っているものが大きい訳ですし、でも、根本から対処していけば大丈夫なものです。執着を外すにはトランス状態を深めることが第一です。悩みの対象がどうでもいい気持ちになります。最初はこだわりがありますが、いずれどうでもいい、それがどうしたという状態になります。
それが岩波英知イズムであり、悩み克服の心理です。

話は前後するけれど、克服スピードの加速を決定づけたものは一週間の合宿プログラムだった。また大阪に行った。本当に劇的だった。一週間、朝から晩まで徹底的に、話し合い、暗示を聞き、ルーツ分析を根っこから受け入れることをし、先生に相談に乗ってもらい、トランス状態の中でさらに暗示を聞き、自分の力で、意識の変容状態(家でやるよりはるかに強烈)をつくりだすことができ、さらに暗示を聞き、ルーツ分析を徹底してやる。とにかくやりまくった。寝食わすれて一生懸命がんばった。
途中で、うつ病がすっかりよくなった人の瞬間を見た(本当に何かとりついていたものが、すっきりとれて、赤ちゃんのような顔になった瞬間を見た)し、よけい励みになった。もう自分の人生がばからしくなった。なんでこんなことにとらわれて苦しまなきゃいけないんだ。

ある決意が生まれた。覚悟と言っていい。もう悩む必要なんかないと心から思っていた。自分の悩みの苦しみすらどうでもよくなった。本当にどうでもいい、くだらない。
人を気にすることもまったくする必要がなくなった。必要がないんだから気になりようがない。
やってやるぞ! 人に攻撃されたら? そんなもの知るか! やるならやってみろ、やれるものならやってみろ、何があっても関係ない、そう思えた。
それもあまり無理せず気張らず素直に。自分がすごく強くなっていた。

その前に、暗示が自分の脳みそにはりつくほど強烈に入り込んでいた実感があった。ダイレクトに暗示がトラウマ破壊から、プラス思考の構築まですべてがはりついた。だから劇的に効果を得たのだ。すごくうれしいという気持ちは不思議となかった。
でも悩む人生は終わったと実感した。

目の前の景色もすべてが晴れ晴れしく見えた。すべてが輝きみずみずしかった。モチベーションもかなりあがっていた。
どんな荒波にも負けない決心ができていた。つまり私は乗り越えたのだ。自分に勝った。
社会不安障害(対人緊張や視線恐怖)、うつ病とはおさらばできた。
私は大きな武器を手に入れることができた。独り立ちしても人生の荒波を超えていける強さを感じることができた。
こんなに自分が強くなれるなんて思いもしませんでした。

たった一人の人物との出会いでここまで人生が好転するなんて

もっと早く岩波英知先生と出会っていれば、もっと早く教えてもらえれば、と思った。
1年でも2年でも早くあっていれば、人生を無駄に過ごさなくてすんだからだ。
とはいっても、もう私には怖いものはない。同時に、悩みや神経症は、本当に治りにくいものだから、これに出会っていない人は、一生このまま苦しみ続けて生きていくんだろうなと思ったし、今もそう思っている。

神経症は根本から解決しないと、それも尋常じゃない効果のある方法でやらないと絶対よくなることはない。
そして一度挫折しかけた人生(社会的経歴は別の精神的なこと)ならば、普通の道を辿るでもなく戻るでもなく、ずれた道を突っ走ったほうがエネルギーが湧きます。そしてどうせ守ることにエネルギーを費やすのなら、破れかぶれで攻める姿勢に転換しましょう。
人からどう思われるかではなく、私自身が何をしたいのか、何をやり遂げたいのかの気持を強めて(暗示を入れ込んでそうなりました)、攻守逆転させないと、克服する道のりは遠くなってしまいます。

岩波先生の技術の可能性は無限にあります。無意識処理は神経症悩みにも最適かもしれませんが、自己実現をしたい人にとっても強力な武器です。
人間にはハートがあります。ハートに火をつけることができたら、その人の可能性は無限になると思います。私はそれを肌で実感しました。
岩波先生の暗示の世界やトランス状態というのは、究極の所非常に単純で明快です。それは「やるのか、やらないのか」「できるのか、できないのか」そこに最終的に集約されていると思います。
悩みを悪化させてしまうのが悩むという行為(=考えること)とは対極にあります。

無意識の心を説得できるのはそういう単純で明快なものだけです。そして強力なものじゃなくてはいけません。
それを可能にしてくれる施術を用意してくれるのが先生の心理プログラムといえるでしょう。
瞑想を追求している人も、その何十年の成果を私はもう超えてしまっていると思います。レベルが違っているからです。
手法も脳に切れ込む力も何もかも岩波先生は別次元の人です。その元で一生懸命訓練をした人なら、皆私と同じような感想を持つことでしょう。

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家での課題をやってくればくるほど効果も絶大になります

岩波英知先生からは家での課題(岩波式トランス呼吸法)をやってくるように念を押された。
感動と感激でモチベーションがマックスだった私はやり抜く決意を心の中でした。すごい技術を目の当たりにしたんだから、ここで頑張らなくちゃヘタレだと思った。絶対人生を取り戻してやるんだと誓った。
この強い気持が社会不安障害、対人緊張、視線恐怖症、そしてうつ病を克服する手助けになってくれた。

この凄いものならば、根っこからほんとうに悩みが解消できると思った。ルーツの分析も心から受け入れられると感じた。
プラスの暗示もどんどん入る実感があった(まずはマイナスへの執着を減らすことから始める)。
まだまだいろいろなことはわからないし未知だらけだけど、あり得ないからこそ生じるものなんだなと思った。あんまり考えずに取り組むだけと気持を切り替えた。
絶対よくなる、という言葉はその自信から来ていたんだな、と思った。

この経験をしていない人はかわいそうだと思った。なんて自分は幸運なんだろう、と思った。
「その状態に近い状態が、家でも努力すれば、作り込めるようになる」といった。「試しにゆっくり呼吸してごらん」と言われた。目を閉じて、興奮冷めやらぬ中、ゆっくり呼吸してみた。
自律訓練法でつくった、ある感覚を、ただの呼吸数回で超していた。自律訓練法で、緊張をなくそうとしていた努力は何なんだろうと思った。ああ、もっと早く岩波先生に出会いたかった、と痛感した。

岩波英知先生の技術の凄さと価値から見たら安いほど。他では絶対に受けられない

お金を現金の一括で払った。もう希望で胸がいっぱいだった。その凄さ故に本当に安く感じた。今日一日だけで払う価値があると思った。
他のところがいかに効果がなくて安いお金を取っているのか。先生が高い料金を取っているのは、自分の実力への自信だし、効果がそれ以上にあるからだ。当然のお金だろう。もっと高くとってもいいくらいだった。

私が金持ちになったら、何倍もあとで返したい、と思った。なお現在の私は先生のおかげで人よりもお金を得られる立場になることができているが、未だに先生に恩返しができていない。いつか何倍にも返したい(だが先生は受け取らない人だが)

社会不安障害、対人緊張を克服できる方法に出会えた喜び

私は、絶対治る! という確かな実感と希望を持って夜行バスで帰った。興奮して眠れなかった。
ついに最高のプログラムと出会ったんだ、と。もう悩みとは無縁に生活になれる。うれしくてうれしくてたまらなかった。
目を閉じると、すごいトランス状態の感覚(といっても後から見ると大したことがない深さ)を味わっていたら、すーっと変性状態に入った。自分でもできるんだと感動しながら浸っていた。

そういえば、岩波先生から「想像力がいい方だな」と言われた。なるほど呼吸をしなくても思い出すだけで、気持ちいい感覚に浸れた。この想像力も大きな力になってくれた。いつでもリラックス感を思い出すだけで、体まで反応してくれるのだから。更に自分を深い感覚まで引っ張れる。

東京に通うことになった。うまい具合に合宿プログラムに参加した人が卒業したので、空きが出た。
まずは合宿に参加したかったけれど、入ったばかりのため、通いから始めることにした。といっても、全く効果が違っていたが。
家で呼吸の訓練をとにかくしまくった。時間があれば、家にいても電車に乗っても公園にいても、とにかくそればっかりやっていた。みんな努力していたし、その人の何倍ももっと努力してやる、と決意した。人と一緒にやるととても刺激を受ける。ますますモチベーションがあがった。

家での呼吸法は必須の訓練です

家の中での訓練で、完全に無意識とつながる状態を作ることができた。あれだけ自律訓練法がだめで、他者催眠でも入れなかった私が、自分の力で、先生の言われたとおりやり、まったく違う意識が作ることができるようになった。だからよけい、がんばった。呼吸法はやればやるほどいい。

でも最初はうまくいかない人もいるかもしれません。いろいろな不安や苛立ち不安に襲われるからです。
そういう人はその中でもやろうと決心することと、悪い条件が自分の身に降りかかろうが、できる範囲で苦しくない程度に息を吐くことだけをしてください。
あと体が堅い時、落ち着くことができないので呼吸も苦しくなります。ストレッチを入念にやって、お風呂に入って体を緩めてからやりましょう。
ストレッチにしてもしっかり味合わなくちゃいけない。そしてがむしゃらに取り組むこと。雑念という障害があってもいいからがむしゃらにその中でやることです。
そうしたら、必ず突破口が開けます。

私も最初うまくいってて、急にうまくいかなくなりました。助平心で呼吸法をもっとうまくやろうと意図的にやってしまったからです。でも気持を切り替えてそういう思考で立ち向かったら、あとは順調に上達していきました。

当然トランス状態もありえない状態を通り越したありえなさに到達しました。悩んでいる事自体どうでも良くなりました。
想像力が豊富な人は体が緩んで気持ちいい状態を思い浮かべながら浸りきってやると効率よく呼吸もできます。呼吸や暗示、トランスには知恵は不必要です。いろいろな思考を重ねてもトランスにならないばかりか、ますますトランスから遠のいてしまい、イライラしたり落ち着かなくなるだけです。

(ネクスト)


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対人緊張で失ったものを取り戻せる方法

自分の夢も岩波英知先生に語ってみた。こうしたいということも。どうしてもできない自分がいるということも。
それらを含め「うちは悩みをゼロにするということはやらない。もっと生きていてよかったと思えるぐらいの価値を作ることが主眼だ」と言われた。
「一度の人生感動をたくさんして、生きた証を残さなくちゃ生まれてきた意味が無い」と言われた時、抑うつ状態で希望を感じられなかった私は心から「そうなりたい、なってやる!」と決意した。
感情が揺り動いた瞬間だった。

ただの心理カウンセリング、コーチングのみでここまで私の心を上げてくれた人は岩波先生ただ一人だった。
カウンセラーとしても超一流だった。ほんとうによくわかっている。
カウンセリングだけでも治るんじゃないかと思った。それだけで希望がてきたんだから、その後に待っていた出来事はそれを決定的にしたといってよい。 


岩波英知先生のプログラムの特徴

基本的にこちらが悩みを話して、先生が聞くというスタイルではない。どちらかというと、けっこう話が色んな所に飛んだりする。
そして岩波英知先生が悩み解決のヒントをくれる時は、自分自身の体験を通した話をする。「こうしたほうがいいよ」ではなく、「俺はこうしてきた」とか良くなった人の例を出して「こういう思考や生き方をしたから良くなった」と体験に即して話をする。
つまり実績があることで解決のヒントをくれる形だ。

人の話を途中で遮ることもあるが、言いたいことは先生にはっきり伝えた方がいいと思う。雑談も多いが先生のペースで話をするのではなく、目的意識を持って話したいことをちゃんと把握してから通うといいと思った。
あと、先生の心理脳内プログラムはカウンセリングではないということを明記しておきたい。話も一流だけど、一番の問題は潜在意識にこびりつくトラウマ、悩み、抑圧の処理だ。それができるからこそ、超一流の鬼才だ
。話を聞いてもらうだけでは社会不安障害も神経症も決して治らない。
それに自分の無意識との対話ができるから、カウンセリングをして人に話を聞いて貰う必要はない。でも、どんな悩みかの把握はしてくれると思います。

ちなみに名前を覚えられないのは相変わらずで、もし覚えて欲しいのであれば、(地名)の(氏名)という順番に言えば、先生もすぐ把握してくれると思います。名前は覚えられないが、話した内容の隅々までよく覚えてくれている人ではありますが。

岩波先生が超一流たる所以

ついにクライマックスがきた。「ちょっと試してみようか」と言われた。なにを? と思ったが、すごい深い特殊な意識の状態、つまりトランス状態にある方法で入れてくれた。
誘導技術は絶品だった。言葉では説明できないが、究極と言っていいくらいだった。まさに本物のプロだった。
岩波先生にしか為し得ない圧倒的な技術だ。「息を吸って、吐いて、また吸って、さらに吸って、そこで止めて、フーっと吐いて」というようなことを言われた。その瞬間・・・・・
ぱっと目が覚めた。

何がなんだかわからなかった。自分の人生の走馬燈か、過去のつらい記憶か、何か知らないけれど、脳を駆けめぐった。すごくリラックスした感情で、誰かが笑っている感じがした(もしかしたら、その体験を喜んでいる自分かもしれない)。これがトランス状態というんだ、と思った。
メールで教えてくれた人も、すごいと言っていた。ぜったい他では味わえないし、あんなすごい経験をさせてくれる人なんか世界に探してもいっこないとおもった。

催眠? 比べ物にならない。ありえないほどすごくて、ありえないほど不思議な感覚だ。
感激と衝撃の体験で涙が出てきた。いままでつらいことがあったけれども、もうこれから解放される。抑圧されたものが出てきたんだなと言われた。
本当に遠くまで来てよかったと思った。岩波先生に出会ってよかった、と思った。これほどの達人が日本にいたのか! 
「そうとうつらかったんだね」と言ってくれた。涙がさらに出たけれども、それ以上に喜びの方が大きかった。

もっと早くに知っていればよかった、と後悔した。「みんなそう言うね」と先生は笑っていた。
ある深い特殊な意識の変容状態とはこういうことだったんだ、と思った。こればっかりは体験しなければ絶対伝えられない世界だ。無意識にダイレクトに暗示が届いて、トラウマも破壊したり、悩みへのこだわりや敏感な神経を静めたりすることが、これなら可能だと思った。

脳のすごさ、それを引き出せる岩波先生の凄さ

脳みそは偉大だ。最初のトランス状態は、次回、次々回さらに更新する。それまでの感覚がより深くあり得ないくらいの「凄すぎる」体感に変わる。
人によって差はあるけれど、「インパクト」「衝撃」「無」の状態だけだったのが、抑圧がほとばしったり、感激としか言いようがない状態になったり、あり得ないリラックス感に叩きのめされた感じにもなる。感情がいい意味で洪水を起こしてもくれる。

ひたすら恍惚感の中にいることもある。これは先生から出される課題と訓練をこなしていけば「誰でも」可能だ。
ただし、色んな雑念や恐怖感がついて回る人いる。そこを乗り越えたら(神経症克服にはいずれ乗り越えなければいけない)、もう心地よいとしか言えないあり得ない感覚を味わえる。あり得ないと何ども書いてしまったけれど、本当にあり得ない。

そして自律訓練法やヒプノセラピーをやった私から見たら、自力でもトランス状態に近づけるようになる。一瞬「無」の状態になることができるし、自己暗示を入れることもできるようになる。
無意識はどこまでいっても深いし、脳にも限界はないんだなと思うぐらいにその感覚体験はあり得なかった。
初回のトランス状態ものちのちたいしたことがない深さだった。

(ネクスト)岩波英知先生のプログラムの効果と訓練

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大阪でついに岩波英知先生に会う

新幹線の中は、対人緊張的な症状もあり、落ち着かなかった。きつかった。
でもこれから自分には未来が戻って来るという予感がした。そう願った。

そのとき、不安は多少あったにしても、不思議とまがいものだったらどうしようという気持ちはなかった。その時には覚悟が決まっていたのかもしれない。不安がなかったら嘘だが、どきどきとわくわくでいっぱいだった。 

本物なんだな、と言う電話での実感があったし、教えてくれた方の治っていくのを知っていたからだと思う。それに遠方までわざわざ来させる(私が勝手に来たのだが)ということも、よっぽど自分自身に価値を感じている人なんだなと感じていた

森ノ宮という駅で岩波英知先生が来てくれていた(今は迎えに行くことはやってません)。
初めて会った瞬間は実力がありそうな人だな、何か違う感じがした。自信にみちあふれていたし、魂を持った人だった。鋭い眼光を持っていた。それでいて、とても気さくな人だった。後付かもしれないけれど、自分が求めていた人だな、と思ったかもしれない。うれしい予感がより強まった。これからやっていくことへの不安はありながらも、かけてみようという気持ちが強まった。

大阪事務所まで途中、どれだけ症状がきついか聞かれた。そういう人はとても多いよ。よく来ていると言われた。みんな元気になっているよと。動きもエネルギーに溢れていて、悪く言えば落ち着きがない、よく言えば活発な人だと感じた。今まで会ったことがないタイプの人間だったけれど親しみが湧いた。先生と歩いている時、町の人や知り合いの人が明るく先生に挨拶をしていて、先生も元気よく挨拶を返していた(その逆もあった)。
悪い人ではないな、人間力がある人だなと改めて感じた。

大阪事務所に行く

事務所に行く。二部屋あるうちの長ソファーがある部屋に通された。飲み物もついでくれた。
まず忙しい時間をあけてくれたことにお礼を言った(現在は完全集団制です)。
「やる気のある人には時間をいくらでも割くよ」と気さくに言ってくれた。
私自身視線恐怖で、それが心理療法士であろうとカウンセラーであろうと、話すのは苦痛だ。
でもそんな感じはなかった。自分の思っていることとか上手に引き出してくれたし、話しづらさは全くなく、自分が対人緊張、視線恐怖症であることも先生の前ではすでにやわらいでいた。

コミュニケーションの達人だから、こちらも吸収することが多かった。自分の生い立ち(電話で岩波先生に書いてくるように言われた)の紙を見せる。
先生は「今の状態になって当然だよね」と同情してくれた。そして多くの人が同じ症状できているということも。
うつ状態に関しては、その辛さをずっと感じて生きていたら当然落ち込むのも無理は無いと。

社会不安障害や対人緊張になるルーツ

当然自分の生い立ちが、いまの悩みにつながっていることはわかっていた。
でも具体的に、理路整然とつながっていたわけではないし、おぼろげだった。
悩みに陥るには絶対理由があることは今はわかっている。でもはっきりととらえていたわけではない。

紙に社会不安性が、対人緊張になる人生を書いていたとき、きつかった、つらかった、ということだけだった。
ルーツを徹底的に分析することの大切がわかった。
「こことここの出来事が次の出来事に影響を与えて、他の悩んでいない人とは違う人生を送らざるを得なかった」と言われた。たしかにそうだった。
たとえば、私の仲のよかったはずの友達から除け者にされたり、いじめに似た行為は、その後の私にかなり思い影響を残した。
でも、友達とのトラブル、みんな経験しているはず。
でも、それを経験している人は、その後私のように影響を受けていたわけではないわけで、そこでどん底に陥ってしまうのは、さらにその前の時期に何かあったんだろう、といわれた。その通りだった。

社会不安障害になった家庭環境とルーツ

家は「人から嫌われてはいけない」「すべてきちんとやれ」「笑われることをしてはいけない」という家だった。
完璧にやらなくちゃいけないという考えが強かった。
だから、学校で失敗してしまうと親に知られるのが怖かった。のびのび育てられてはいなかった。
母親も父親もそういう教育を受けてきたのだろう。だから強化して私に伝わってしまったのだ。

虐待された人は、自分の子供を虐待するという悪循環と同じく、無意識にやってしまっていたのかもしれない。父親の実家は嫌いだった。
まさにそういう空気がぴりぴり流れていたから。

そのベースを持った人間が、学校で失敗すると他ののびのび育った子供より心理的負担がかかるのは当たり前、と先生に言われ、なるほどと思った。
これだけでもわざわざ大阪に来た甲斐があったと思った。
すごく楽になったし、気分が一気に晴れた。そんなものはまだまだ序の口だったけれども。
気づくこと、心に腑に落ちることはまっさきに必要なことだ。

「うちでは、その整理を徹底的に分析して、まずは頭の上で(表面的に)理解する。その後で、いつもの日常とは違った意識をある方法で作り込んで、心から定着させる」といわれた。
最初はきつい出来事が多く、きついこともあるけれど、次第にほっとできるようになる、といわれた。
自分の過去をしっかり、その後見つめていったが、やはりつらいこともあった。でも同時にすごく安心できた。
今のどうしようもない対人緊張、視線恐怖、うつ病の状態は、自分の過去があったからなんだと思うと、不安や恐怖にのまれることは全くなくなった。

ヒプノセラピーとは全く効果も威力も段違い

他にもどういうことをするのか教えてくれた。ヒプノセラピーは、ある暗示をかけて、そにに患者が反応する。浅い催眠状態になる(私はそこですら反応できず、つらい思いをヒプノセラピーに通っているときした)。さらに暗示をかけ、患者が前よりちょっと深い状態にする。これを繰り返していく、といわれた。
細かいところは覚えていないけれど、ヒプノセラピーはこんなことなんだろう。
もうどうでもいい心理療法であるが。

「うちは違う。いきなりある深い特殊な意識の状態にして、まず脳と体でその感覚を覚え込ませる。そのあとならいくらでも暗示が入るし、反応も早いし、無意識に直接働きかけることができるから、トラウマも破壊できるし、過去のつらい体験にたいするこだわりもなくなり、劇的によくなる」といわれた。
「必ずよくなるよ」といわれ、すごくうれしかった。
「何倍にもとりもどせるようになるから。これからノブくんの時代だよ」と。ここまで言ってくれる人は今までいなかったし、本当に感激した。

改めてインターネットで紹介してくれた人に感謝した。「その人も、昔は相当ひどい状態だけど、どんどんよくなったし、いまは夢を見つけてばりばりやっているよ」といわれた。ますます大阪に通った甲斐があった。
もしあのとき躊躇していれば今はなかったし、ひょっとしたら受ける機会を逸していたかもしれない。


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私と岩波英知先生 すべてが別格 評判の高い先生と自己正常化プログラムとの出会い

岩波英知先生との電話

電話して一番最初に驚いたことは、岩波英知先生は自信家だということだった。
自分が対人緊張、視線恐怖症で、○○さんから、岩波英知という別次元の能力を持つ先生がやられている神経症克服のプログラム教えてもらったと言うことを告げた
どれくらい自分が悩んできて、どれほど苦しい思いをして、未来も希望もない状態かということを話した。

緊張していたが話しているだけでほっとしてきた。このお方は何か違うな、でも気さくで力強い声だった。 
やり方は大体は知っていたため、そんな催眠状態にも全然入ることができない自分でも大丈夫かと言うことを相談した。
また薬を飲んでいた経験や、催眠療法、ヒプノセラピー、森田療法をうけた経験もあることも言った。
先生は「他のどこよりも価値がはるかに大きい。今までで一番だと思うよ」といった。
なんでそんな自負心があるんだろうと思った。
でも、その自信を含んだ声に、本物だと思った。

かといって、受けたければ受ければいいというスタンスだった。
うちはすごいけれど、来たければ来ればいいし、心配なら来る必要はないという感じが逆に自信を感じさせた。
私の常識では、催眠にかからないのは自分の体質のせい、薬がどんどん強くせざるを得ないのも、自分の悩みに深さだと思ったし、森田療法の「あるがまま」なんて全然自分には実践できない、ということだった。
だから、それを遙かに超える実力があるといわれていても、自分だけは別だ、という考えが電話前はあった。

やはり能力者は何かが違う

しかし「催眠状態なんて比じゃなくて遙かにすごい世界を味わえる」と言われた。
それは自信にあふれたもの言いだった。実際お会いしてから、何か違うなと思った。
普通の心理療法士や先生は、ただの人だ。ただの人に自分の思い対人緊張や神経症の悩みなんか治すことができない。

でも、一目見たとき、電話で話したときと同じ感銘を受けた。
切れるし、ずば抜けてそうな雰囲気だった。
パワーとエネルギーとオーラを感じた。
でも気さくで私の人との距離感をとっぱらう名人でもあった(先生のコミュニケーション能力はのちのち私に大きな武器を与えてくれた)。 
あ、本当に会ってよかった、と直感した。 

ともかく電話の時、これは固いし何か違うと思った。かけてみたくなった。料金は高いと聞いていたから、覚悟はしていた。
それよりも、自分の症状が治らないまますぎていったら、それこそ悲惨だ。お金の問題じゃない。
大体お金が高いという人は、5万円でも高いと思うだろう。本当に効果があるものは、たとえ一千万円だって安く感じるはずだ。

これは人生全体の問題だし、絶対治りたい、よくなりたいと思った。だからあのときの僕のリスク行動は、大成功に終わった。
社会不安障害や対人緊張などを克服するには行動を起こさなくちゃいけない。
電話の時決心したことは、有意義な行動だったと思う。

世界で先生にしかできない脅威の克服技術

もしビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、ハワード・ヒューズ(この人はがちがちの強迫神経症患者)といった大富豪が、岩波先生のところに通ったとしたら、症状を治すために数億円簡単に出すだろう。
それくらいの価値がある。
独自に岩波先生が開発した技術だから、誰にもマネができないし、ただの目新しいものでもない。
どこよりも人間の深淵に向かって強く働きかけることができる独特なプログラムだった。

けれど、その時は知るよしもない。ただ自負心に心を掴まれた感じだった。
何が自分の身に起こるのか? 私の心にどう作用して変化していくのか? 楽しみであり不安でもあった。
恐怖心がないわけじゃないけれど、社会不安障害が治らないことのほうが遥かに恐怖だった。
自殺するときの恐怖に比べたら、やっぱりワクワクドキドキがまさる。 

でも、北海道から九州まで(沖縄や外国からわざわざ通ってくる人もいるみたいだ)やりたい人が多くて、なかなか受けることができない、ということを言われた。どうにか予約をいれてもらいたかったので、真剣に頼んでみた。
絶対受けたかった気持ちがあった。だからそれを伝えた。
岩波先生もわかってくれたみたいで、 大阪ならどうにか時間がとれると言われた。住んでいるところは東京だったので、東京がよかったのは確かですが、わざわざ大阪までいってみた。昔関西地方に住んでいたこともあったからだ。

(ネクスト)



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岩波英知先生の技術との出会い 神経症克服プログラムの感想
すべてはメールから始まった。書かれてあった内容はいまはもうはっきり思い出せないけれど(それだけ私の頭は混乱していたのかもしれない)、私はこれだと思った。これしかないと思った。
その能力があるという岩波英知先生に会いたいと思った。でも別の考えがよぎった。でも、自分ではまた駄目だろうな、と思った。他の人は良くても私だけは無理だと。

その希望と不安が入り交じった中、その方にいろいろと教えてもらった。対人緊張で克服経験のある方だった。生い立ちなど私に凄く似ていてびっくりした。同じ悩みの人はいることは知っていたけれど、生い立ちまで凄く似ているのは驚いた。似たような環境から似た症状になるものだ。
同時に希望が出てきた。その方が、治ったんだから私もできるかもと思った。大丈夫とおっしゃってくれた。でも料金は4*万円だった。とても自分には払えない金額だった。(仕送りをいままではいろいろとヒプノセラピー・森田療法に費やしてきた。もっと早く知っていれば、と思った)。

とにかく先生と話をしたかった。でも、予約が取れないらしい。かなり先まで待つとのことだった。でもどうしても受けたい気持ちがあった。絶対お金を貯めます、と真剣に頼んでみた。
もう父親にいってお金を借りようと思った。特別に岩波先生という方の連絡先を教えてもらった。電話で話した。これはもう間違いないと思った。これは直感だった。本物だと感じた。この人はなにか自信がありそうだし、自負心を持って生きている。そしてこの直感はあたっていた。
私の想像の何百倍も、通ってから本物だと感じた。。まだ先生の能力を目の当たりにもしていないのに、もうやる気十分だったのは何でだろう。自分はこのときカケに出ていたのかもしれない。
これが駄目なら終わりだとまで思っていた。命を投げ出すぐらいの気持ちだったから、なにか感覚的な鋭さが出たのかもしれない。わからないが、何かがわかっていた。本当に実力のある先生だと言うことが。
理性で判断した者じゃなくて、動物的な本能で判断したのかもしれない。フィーリングがあったのは間違いない。

(ネクスト)



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対人緊張、社会不安障害の罠に陥ってから-大学生

なんとか大学に通い始めた。大学はさぼれるところと聞いていたので、気が楽になった。一人暮らしをはじめた。友達も知り合いも誰もいずに孤独だった。生きていかれるんだろうかと不安だった。
でも、親にうつな状態の私を責められるよりはよかった。そういう面では気持の余裕が少し出てきた。でも、引きこもっていると精神的にやられるし、ますます気分がうつ状態になる危険もあった。

大学時代は症状の面で特に書くことはない。いちいち症状の苦しさを書いていたら、きりがないから。高校時代の神経症の症状の延長とその強化版だから。いわゆる、思考のコピーという奴だ。
絶対大学期間中に治してやると思っていた。ヒプノセラピーや森田療法があることに期待をかけていた。本も余計読みあさった。すこしでも、自分にいいことがかかれてあると、それを慰めにしていた。でも、身に付きはしなかった。知識を得ても私自身の感情まではどうしても説得できない。
インターネットでも調べはじめた。実はこういう症状が異常に多いことに気づいた。でも私が一番きついだろう、という妙なプライドも持っていた。そういえば、プライドが私が、神経症をよくすることの最大の邪魔になっていることに気づいていた。でもプライドはどうしても捨てられなかった。どうしても人によく思われたかった。嫌われたくなかった。プライドを傷つけてしまう出来事を必死で避けていた。

高校時代よりもきつかったのは、マイナス思考が私を襲ってくることだった。それにおそわれたら、もういてもたってもいられないくらい、焦燥感や恐怖やパニックや息苦しさや割ることばかり考えてしまう思考の暴走、自分は生きていていいわけはないという恐慌がおそってきた。
しばらくすると和らぐが、本当にきつかった。一人暮らしだったため気持のはけ口がなかった。時々誰もいないところで大声を出して発散していた。そこまでしないと狂いそうだったから。

自殺をまた考えた。ヒプノセラピーや森田療法で治らなかったらそうしようと思った。森田療法は入院しなくちゃいけないので、通えるヒプノセラピーに助けを求めた。
ただの自律訓練法レベルをやっていた。実にそういうところが多いらしい。しかも、心理療法士のくせに、気にしすぎ、という言ってはならないことまで言われた。気のしすぎのなのはあんたよりもわかっている。でも気にしてしまうんだ、と思った。偽物だった。信用できなくなった。本当に生ぬるい奴だった。こんなもので金を取るなんて信じられなかった。
でも、これが現実だし、いちいち腹を立てていてもしょうがないなと思う。心の悩みは最終的に自分自身で解決するしかないのだから。

もっと実力のあるヒプノセラピストは凄いはずだと思って、別の有名なところ(宣伝をたくさんしているところ)に通った。でも、所詮レベルは変わらなかった。
そのうち、催眠に入れないのは自分の体質だからなんだと思うようになった。そいつもそんなことをいった。本当にたちが悪いと感じた。この催眠の先生は理論ばかりふりかざし、何の症状を改善するヒントも効果も与えてくれなかった。
今思えば、ただ催眠の理論的なものを本で書いて(世間一般では催眠術というのは摩訶不思議らしいから)、駅のホームで宣伝しているにすぎないんだと思う。
今では催眠にかかる状態というのは、脳にギャップが起きた時、感情的になっている時、非常にリラックス状態になっている時になるとわかっているけれど、生半可なリラックス状態で暗示をかけられてもかかるわけないなと思う。もともと被暗示性が低いのに。

次もヒプノセラピーに救いを求めに行った。一回目からこれは駄目だと思った。もう信用できないと思った。口だけは達者で理論武装をしていたけれども、肝心の能力もなければ、カウンセリング自体も下手だし、あんな実力でヒプノセラピーをやったとしても、本当に自分の能力に満足しているのだろうか。患者に申し訳なく思っているのではないか、と思った。
私が催眠にかからない体質だけれど、実はかかったとしても、私のような重い神経症の悩みを破壊したりすることはできないだろう。深い催眠状態でも、暗示をかけたとしてもまったく効果がない。
それよりもはるかに徹底した究極と言っていいぐらいの深い意識の中で、暗示を徹底して入れれば、私でもかなりの効果を得ることができる。これを身に染みて感じた今は、ヒプノセラピーの生ぬるさがに辟易している。プロを越えた本物のプロじゃないとだめだ、と思う。あまりに日本のヒプノセラピーのレベルは低すぎます

ヒプノセラピーに(というよりヒプノセラピスト)幻滅を覚え、あるがまま、の森田療法の入院を決めた。
ヒプノセラピーにしても、森田療法にしても、自律訓練法にしても、その関連本に書かれてある理論は一応納得できる。でもそれを実践できない人ばかり。とにかく入院をした。保証人を立てなくちゃいけなかったが、伯父に無断でなってもらった。
作業を徹底して、悩みのことを入院している人と話しちゃいけない、などの決まりがあり、それを実践していった。動く・作業するということはとても気持ちが良かった。自分の思考がおそってくることは少なくなった。環境が変わったからと言うこともあるだろう。行動すれば悩む思考を停止できると悟った。だから引きこもってずっと考えていたんじゃ悪化するだけと気づき、これは後に栄養になってくれた。
でも、大学に戻ったとき、対人緊張、社会不安障害が克服できる、という実感がまったく湧かなかった。自分もあるがままができるんだろうかと思った。そして退院となった。
変わっていて欲しい、という不安を伴った願望を胸に病院を出たが、まったくだめだった。気が楽になったが、すぐ重くなった。何にも変わっていない。
今までしてきたことすべてを持ってしても、私の社会不安障害・対人緊張を好転させることができないんだと思った。
いかに、あるがまま、が難しいか、憂鬱になった。あるがままの心境になっていたら、何にも変わっていないという思考は湧かないだろうから、こちらの修行不足もあるんだろう。なんでも人のせいにするのは良くない。
でも、当時はうつ状態に拍車がかかった。期待への反動で悪化したように感じた。

まだ死にたくなかった。自殺が怖かった。対人緊張、社会不安障害を克服して、のびのびと人生を送りたい。私のもてる実力をフル発揮したい。
とにかくすべての治す手段を失った私はインターネットをむさぼるように見た。悩んでいる人はとても多く、自分の症状に似た人もたくさんいる。でも、治った人はインターネットをやっていないのか、と思えるほど、そういう体験談はなかった。
自分の一番欲しい、治った人の情報はまったくなかった。やっぱりこのまま神経症が治らないんだな、と思った。掲示板では煽り行為、誹謗中傷、泣き言ばかり。

悩んでいる人の掲示板の書き込みは、見るのも辛かった。みな出口が見えなくて、もがき苦しんでいた。すねていた。醜いと思った。混乱していると思った。惨めだなと思った。みんな出口が見えずに苦しんでいると思った。
これはそのまま私自身に当てはまることだから笑えない。悩みごっこをしているとも思えた。誰かが、たるんでいるから悩む、と言う書き込みがあって、それにショックを受けた女性が、自殺する、みたいなことを書いていた。みんな必死で止めていた。
それを読んでいると、自分がむなしくなった。その女性は自殺せずに掲示板の書き込みに復帰していた。そして、傷をなめてもらおうと、また惨めな気持ちをはき出していた。そんなことを見ていると嫌になった。まさに私が、その女性と同じ症状だからだ。

今思えば、よくなっている人もたくさんいる。それは私もそうだし、私の通った岩波先生の心理プログラムでも対人緊張克服者たくさん見ている。克服した人は、インターネットで悩みのところを見る必要がないから、見ないわけだと、今は思う。もっと別の希望のある人生ができたから、見る必要を感じない。掲示板を見るって事は、停滞してずっと同じ場所にいるってこと。
良くなった人はどんどん自分の可能性にチャレンジしているから、停滞していない。それに難しく考えていない。デートや遊ぶことが楽しいし、仕事も頑張れるから

とにかく本物の心理療法を探し求めていた。圧倒してくれるぐらいの本物を探していた。圧倒してくれるといっても、宗教とか前世療法とか本当に胡散臭く感じていた。あんなものに頼っちゃおしまいだまで思っていた。
でもどこかにインターネットにはあるかもしれないと思った。かすかな希望を探し求めて、悩んでいる人だらけのインターネットの世界を探し続けた。人がそれだけいれば必ずあるはずだと。

あるとき、たまたま対人緊張、社会不安障害などが治った人の体験記を読んだ。私は、必死の思いでメールを送ってみた。これは! と直感で思ったからだ。

(ネクスト)

 

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神経症の罠に陥ってから(社会不安障害・視線恐怖症・対人恐怖・対人緊張・手の震え・どもり・うつ病へ)

高校は周りの人間がどうこうということではなくて、私の中の自分にめちゃくちゃにされた。自分の気にしない、という意識とは逆に何倍も気になってしまう状態になった。
まずは視線だった。人から見られることに異様に恐怖を覚え、見られていると感じるとガチガチに緊張してしまった。頭は柔軟な思考はもちろん、真っ白のパニック状態になった。それはクラス中から注視されている場面になると更に強まった。

だからぎこちなくなったし、挙動不審になったし、クラスからはキョドってる、やばいぞ、顔が引きつっているとよく言われた。言われた自分は昔は反発していたかもしれないが、いまはそのとおりだから、引きつった顔のまま、それを甘んじて受けていた。だから余計惨めになった。愛想笑いをしてしまう自分も情けないと思った。顔の強バリはしたくてしているんじゃない。
でも、緊張したり、自分の顔に意識が向くと、もう余計はずそうとすればするほどこわばってしまった。表情恐怖症と言うべきものかもしれない。神経がとても疲れた。顔が引きつっているぞ、といわれても、無理なんだからしょうがない。おもしろおかしく奴らは言った。

※相互リンクしてくださっているナラさんのブログ 表情恐怖症・笑顔恐怖症! 表情恐怖症から解放された私の記録

自分の視線が相手に恐怖を与えているんじゃないか、とか嫌な感じを与えているんだ、という妄想にちかい強迫観念があった。自己視線恐怖症というものだった。

すでに、がちがちの視線恐怖になっていた。顔のこわばりも、声も、視線もすべて意識が、必要の一万倍以上向いてしまった。自分の全エネルギーがその三つに集中した。正常な理性がはずれ、パニックと恐怖と緊張というマイナスの感情だけが私を支配していた。
人が一人でもいるともうだめだった。相手が自分を見ていると余計がちがちになった。教室ではそれがいつも続いた。言葉で、その苦しさを書けないのが口惜しい。

一番後ろの席に座っていたが、少しは楽だった。みんなの意識の枠からは一番はずれるところだから。そういう意味でははじっこも好んで座った。顔の強バリを意識しているとき、顔が赤いことを気に病む人(赤面症)の存在を知った。その本を読んだ生で、私は赤面症にもなった。もしかしたら人に顔が赤くなる、緊張したり、恥ずかしがっているから顔が赤いんだ、と言われることに恐怖を覚えた。顔が赤い、ともし言われたら、私は生きていけないと思った。身の破滅だと思った。
でも神経への意識が顔に余計向かってしまった。顔が赤いことを気づかれたらどうしよう、いま赤いんじゃないかと怯えた。クラスから聞こえてくる言葉の中で、赤いという、それと似た言葉が聞こえてくると反応した。自分のことを言っているんじゃないか、と思った。
すでに神経症の悩みの思考をコピーして、ありとあらゆる症状に自分を当てはめていた。

それとおなじように、視線や眼という言葉も駄目だった。人の目を見て話せなくなったため(見たら最後だと思っていた。自分の視線の威力が相手にしゃれにならないダメージやきつさを与えているに違いない、と妄想でも事実として自分の心の中にあった)。
何より人の目を見て話せないことが苦痛で苦痛でしょうがなかった。一番劣等感を感じていた。人の目さえ見ることができたら、外見上は変に思われないですむのに、と思った。一方で相手の目を何の意識も起こさずに見られて、楽しく喋っている人がうらやましくしょうがなかったのと、なんでできるんだろうと不思議にさえ思った。
コンプレックスのかたまりの自分は、人が楽しく喋ったりしているのを見て、余計憂鬱になっていった。人の目を見て話せないことを、同級生にさとられたくなかった。もうみんなに変に思われているというのに! 

何にもいいことが無く、ただつらさと苦しさと不安と緊張とやるせなさと劣等感と恐怖と罪の意識をただただ堪え忍んでいた。
当然うつ状態になっていった。一人でいてもまったく楽しくなくなった。昔は一人で遊ぶことがとても楽しかったのに、それすらきつい状態になっている自分に愕然とした。一人でいても、勝手に私の気持ち・心の悩みが私を襲って苦しめるようになった。
もう私が楽になれる場所なんてないんだとおもった。胸の動悸や呼吸に意識が向くようになった。胃も悪くした。これは心因性によるものだった。心身症の状態になった。
心臓の動悸は暴走して、裂けんばかりに胸うち、呼吸もマイナス思考におそわれたときはとても息苦しくなった。つねに心臓の鼓動や呼吸が楽かどうかをチェックするようになった。もう私の神経が私をつねに殴りつけている状態だった。

自殺をいつも考えていた。いっそのこと死んでしまおうと思った。対人恐怖は、鬱病と違って自殺できない、というが、果たして私が岩波先生と出会っていなかったら、どうしていただろう。死んでしまったいたのだろうか。苦しみ続けたまま今も生きていただろうか、と考える。
治っていることは考えられないだろう。とにかく、睡眠薬を大量に飲むことに決めた。しかし、いまの薬はそういうところは安全にできていると聞き、飛び降りに決めた。でも首つりが一番手っ取り早いということになり、私がこのまま治らずに高校も大学もそのままだったら、その自殺方法に決めた。時々、ロープを作ったりして、試しに首に縄を付けたりしていた。
対人恐怖で実際に自殺を選んでしまった人は相当な数いると思う。でも誰も対人恐怖の辛さをわからないから、対人恐怖で自殺したという直接的原因はわかっていないだろう。自殺したほうがマシなくらい苦しいのが対人恐怖だと身をもって体験している人じゃないとわからない。 
絶対自殺するハメになる前に対策をとろうと思った。だから精神科に電話して予約を取った。
私の症状はその時には本で対人恐怖で視線恐怖症で、赤面症ということがわかっていた。でも、他の人がそういう状態になっているということを知らなくて、自分一人が、他の人はなることはない病気にかかってしまった、という認識だった。だから治らないかもしれないというおそれがあった。

精神科ではまったく治らなかった。治らないのは当然で、薬の作用は感覚を鈍くしたりして、不安やおそれなどを押さえ込むだけのものだ。
その不安やおそれや神経の暴走は当然私の中のもっと深いところで起きてしまっている。よく使われるのは無意識という奴で、これには普通の状態では絶対手が届かない。そこから対処していかなければだめなんだろうと思い始めた。たくさん本を読んだからだ。
森田療法の本も読みあさった。でもどれもどうしたら治ることは書いてなかった。自己啓発の本も必死に読みあさった。そうなんだろうな、と思う。でもできっこなかった。
とりあえず薬は飲み続けた。体がだるくて眠くて仕方がなかった。医者は信用できない感じだった。でも薬を飲み続けることで、いつかぱっと治るのかもしれないという期待はしていた。今思えば、すごくもったいない時間の浪費だった。薬をどんどん変えてくれたり、量を増やしていったり、強い薬をくれたりした。
それでも、いっこうに症状は治らない。絶望に陥った。薬を飲めば、楽になると思っていたから、症状がまったく(本当にまったく抑えられなかった。少しは抑えられると期待していたのに)良くならないのを見て、やっぱり私だけが取り残されるんだなと感じた。精神科にも幻滅して、通わなくなった。

学校は苦しみながらも通い続けた。変なプライドがあって、学校に通わなくちゃいけないという強迫観念があったのか。
成績は低いレベルだった。もう勉強どころではなかった。早く卒業したかった。両親への手前、そして世間への手前、中退だけはしたくなかった。
こんなことには私はくだらないパワーを使ってしまっていたのだ。あのとき我慢しきれずに中退していたらどうなっていたんだろう。絶対引きこもりになっていたに違いない。後に引きこもり状態になったが、このときの引きこもりは、もう社会への道がまったく閉ざされていただろうと思う。
かといって、家の中にいても親に小言を言われる毎日だろう。岩波先生の心理プログラムに出会っていなかったならば、やばい状況になっていた。人は精神的に転落したら、どこまでも転落してしまう。
でも負けん気だけは捨てなかったと思う。苦しくて苦しくてたまらないけれど、どこかで挽歌視しようという気持は持ち続けていた。自殺を考えながらも。

やっと卒業できた。卒業式は仮病を使いさぼった。中学も高校も大嫌いだった。憎しみすら持っている。いまはどうでもよくなったが、一生こんなとこにはこないと思った。
早く社会に出なきゃいけなくなるときまでに対人恐怖やそれに付随する神経症の悩みを克服しなきゃと思っていた。でもいい方法なんかまったく見つからなかった。本物に出会えなかった。
一縷の望みに期待をかけて、苦しみの中で生きていた。

あまり期待をかけていなかったが、少しでも対人恐怖による神経の暴走を沈めようと、自律訓練法のテープ(CD)を購入した。でも何にもならなかった。交感神経の高ぶりは、自律訓練法ごときで抑えられるわけがない。表面上をただなぞるだけのものだ。
もっと私の悩みの深さはとんでもないものだし、自律訓練法で時間を潰すのはもったいないなと思うようになった。最初から気休めでやっていただけだったが、何の役にも立たないことがはっきりした。長続きせず捨てた。

(ネクスト)

 


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高校生で神経症になるまで

私立中学に入学した。小学校時代の窮屈さやしがらみから解放されるとおもって、少しは希望をもった。電車で遠いところにある中学に行ったので、すべてが変わると思った。でも何も変わらなかった。よけいひどくなった。
中学校自体の雰囲気がなにかどんよりも曇ったイメージだった。年齢の成長もあるかもしれないが、みな疎外感を全面に漂わせていた。心に壁を作り始める年代だ。重苦しかった。何より自意識が芽生える年頃だ。
私に自意識が芽生えたら、自滅するのは今ならよくわかる。

それでも最初は環境が変わり、心機一転の心境だった。でも、クラスの中で派閥を皆作り始めた。そしてその派閥以外のグループとは疎遠の状態だった。だから、孤独感は余計強まった。
私は、あるグループで行動を共にした。そのグループの中では居場所があり安心だった。でも、嫌われたくない、良く思われたいという気持ちは、いっそう強まった。疎遠なグループのメンバーから自分のことが嫌われているんじゃないか、という思考が小学生時代のようにおそってきた。ほんとうに冷たい雰囲気のクラスだった。担任も窮屈な奴だった。
だから、その素っ気ない態度で、余計やばい嫌われている、といつも周りをチェックし、人の顔色を見た。嫌われないようにどうしたらいいのか、どうしたら好かれたり、みんなに受け入れられるんだろう。全神経をつかって、この自意識が芽生える時期に全力でやっていた。小学生の何倍も窮屈になった。
いつも怯えていた。悪口が怖かった。疎外されたり、無視されるのが怖かった。

あることでクラスの奴とけんかした。冷戦状態のけんかだ。理由は忘れたが、お互いに譲れないものがあったんだろう。私もかなり頑固な性格だったし、ここで負けたらアイデンティティがやばい、と思ったのかもしれない。
ともかく、なにか強く思ったら強化してしまうことがあった。それが神経症に結びついているのだが、そのとき、けんか相手に別のグループの奴まで応援した。ショックだった。中立なのに、なぜか相手を応援している。急に弱気になった。惨めになった。
余計クラス中の眼や顔色を伺うようになったし、いけないことをしてしまったという後悔ばっかりしていた。けんか相手の奴がにやついているのをみると、無性に腹が立った。やっぱり私の存在が、そういうふうな存在なのかな、と腐った。
ここであくまでも私の筋を通しきれば、違った結果になっていたことは間違いない。勝手に萎縮してしまって、殻に閉じこもった私の自滅ですね。

高校に入った。がちがちに人前で緊張していた。国語や英語で発表があったり、当てられたりすることがある。中学までは、いやだったけれど、それなりに読めていた。
でも急に声に(のどに)意識が向いた。恥をかいたらどうしよう、という思考がよぎったのかもしれない。急に声がつっかえた。どもるようになった。クラス中の奴が笑った。自分自身、声の震えも気になる。それ以来、教師に当てられることも凄く辛くなった。クラス中のやつらが、当てられるのを期待しているようだった。
実際、クラス討論会があり、しょっちゅう自分に当てられた。惨めだった。奴らの期待は、自分がつっかえたり、声が出なくなって突っ立っていることだけだった。でも、道化のように私は笑っていた。心の中では泣いていた。同情してくれる人もいたが、辛いだけだった。

目立たないようにしようと思っていたことが、自分の症状のせいで目立ってしまうし、嫌われないようにしようと必死で心に誓ったのに、嫌っている奴も(最低限気に入らないぐらいでもいやだった)いたし、みんなから好かれたいのにそれもかなわなかった。
自分を完璧にして、良く思われようと常に考えていたが、行動もせずに頭の中で良く思われようと思っていただけで、ついには自滅してしまった。

細かいことはいくらでもあるけれど、それ以後の自分に比べれば、まだまだ序の口だ。まだまだこのころまでは生きられたし、ハンデはあったけれど、死を予感したことはなかった。
でもこのあとに、とんでもない負担が私の心をおそった。完全に神経症になってしまった。生きられないと思ったし、治る見込みがないと思った。それまでのきつかったが、度合いが今度はもっと違う。

 

(ネクスト)


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学生時代の思い出-小学生まで

幼児期の頃から、ああしろ、こうしろ、恥をかくな、良く思われろ、という教育を受けてきた。人目を気にしやすい母親・厳格で融通がきかない感情を表に表さない父親のもとで育った。
当然、誰よりも人目に敏感になり、自己主張もできません。感情の発散自体が恥ずかしいことと思って生きてきた。兄弟もみんな似たような性格を持っている。
でも、ここまではまってしまったのは私だけ…。何が差を分けてしまったのでしょうか。でも今は兄弟も少なからず悩みを抱えているようです。神経症とまでは至っていませんが。

いつもどこかに窮屈な感じをして生きてきた。クラスメートとも、話がしっくりいかない子供とは、絶対その後しっくりいかなかった。
自分を受け入れてくれる子供だけ友達になったが、自分が苦手だな、と思った同級生とは絶対、うまく喋られなかった。気持ちがどうしてもついていけなかった。年上の人や先生ともうまく喋られなかった。
なにか喋らなきゃ、暗いと思われる、変に思われる、という気持ちが子供の時から強かった。だから喋ろうと話しかけようとする。
だけれども、よけい何を言っていいかわからなかった。でも話したい。余計窮屈感を覚えた。
子供らしいところもあったけれども、幼くして、はまるベースを着々とはぐくんでいた。なんか生きづらいなと感じていたことは確か。
でも子供心に楽しいこともたくさんあったけれど。

友達やクラスメートにちょっかいを出されるようになった。一応友達だったやつだが、いつも私のことを無口だの、もっとしゃべれ、だの言う。また目が潤んでいるので、なんで泣いているの? なんてよくいわれた。
そこが視線を意識、眼を意識する原因となったのかもしれない。その悪友だけではなく、別の奴にも言われたから、そうなのかな、とよけい自分の目を意識した。
ともかく、そいつの言うことがすべてが、私に対する当てつけに思われた。だからいつもそいつがいると身構えた。人のいうことの裏を考えるようになった。人の投げかける言葉をすべてマイナスにとってしまうように。

どうしたら言われないようになるか、いつも心を砕いていた。余計居場所がなくなるというか窮屈感が増した。
でもそいつとはつきあわなきゃいけない。そのちょっかいや当てつけに対して、がつんと言ってやりたい。でもできなかった。
よけい不満がたまったし、それが言えない自分が情けない。さらに、そいつの友達までが(私とは親しくない)私にちょっかいを出し始めた。
なんでこいつにまで言われなきゃならないんだと思った。プライドが傷つけられた。爆発しそうだった。でも我慢した。そんな自分に嫌悪感を持った。抑圧をため続けていた。
家でも同じ感情を抑圧されることを親からかけられていた。でも発散できるほど、人慣れしていないし、感情を出せないから、よけい内面に不満をため続けた。
岩波英知先生に出会うまでずっと抑圧のはけ口がなかった。だから神経症になるしかなかった。今から考えても恐ろしいことです。

一人で遊ぶことが好きだった。ホッとした。空想ごっこをして遊んでいた。両親もそんな自分に不安を持っていたらしい。
強い子にしようと、習い事を無理矢理させられた。見知らぬ環境が本当に本当に嫌でたまらなかった。通うのが嫌で良く泣いた。通うまでの車の中はとても暗鬱だった。
みな自分を嫌っているように思えた。他の人が楽しくやっているのを見ると、そうなりたい気持ちがあったけれども、できない自分が惨めに感じた。どうしたらあんな楽しくできるんだろう、と思った。母親はそんな私を不満に思っていたと思う。いろんなところに通わせられた。たぶん、そんな息子を持っていることが、人目に悪く映ってしまうからだろう。年を重ねるにつれて、人の評価を必要以上に気にするようになっていった。
親は親でこんな性質の子供に仕立てておいて、自己主張できないことをなじったりした。言われるがままだった。

学校は楽しくなかった。楽しいときもまあまああったが、トータルでみれば、やっぱり高校生に神経症という悪魔におそわれるだけの材料はたくさん収集していた。だからきつかったと言えると思う。いつも自分を守り続けていた。

異様に人からの評価が怖かった。通知票が怖かった。保護者面談が怖かった。
●●くんってさ、という会話が聞こえてくると、自分の評価を下されるんじゃないか、と怯えた。クラスのどこからか、自分の名前に似た言葉、発音が聞こえると、私の噂をしているんじゃないか、と不安になった。実際悪口も聞こえてきた。だから余計気になった。
人の顔色をいっそう伺うようになった。そんな自分がやっぱり窮屈で、年を重ねるごとにどんどん居場所が無くなっていった。ますます気持ちが萎縮していく。この頃から自意識がもっと芽生えたら確実に対人恐怖になってしまうルーツは出来上がっていました。

中学受験をすることになった。自分だけ違う進路に行くと、クラス中の生徒になにか噂されたり、疎外されるんじゃないかと怯えた。こんなくだらないことまで気を病んでいた。人と違ったことをしたくなかった。
当時は私立中に行く比率がすくなかったため、そんなことをしたくないと思った。でも、中学で、違う環境にいける喜びがあった。窮屈なこの状態から抜け出したい気持があったから。

近くの進学塾に通った。5年生からだ。でも一年ちかく、ほとんど友達ができなかった。話しかけるきっかけがなかった。みんな自分より前から入っている人ばかりだったから、私が話しかけると変に思われはしないか、と気にしていた。
その後、あとからはいってきた人と仲良くなり、それがきっかけで、他の人とのなじめるようになってきた。それに受験勉強という目的があったから、少しは楽だった。私の生活態度や内面をみられなくてすむから。
とはいっても、やっぱり対人恐怖的な症状は、すでにあったし、小学校ほどではないにしろ、人目を気にしたり、自分の名前に似た発音があると、やっぱりここでも言われちゃうのかな、とおもって、暗くなったときが何度もあった。
受験勉強はけっこう頑張った。だから学校では成績も良かった。

うんこをクラスで漏らしてしまったことがあった。トイレに行きたい、と言えなかったのだ。だからついに我慢できなくなって、出てしまった。
終わりのホームルームの時で、みんなくさい、くさい、といった。もう死にたかった。消えたかった。ただ嵐が過ぎるのをまっていた。結局、犯人がわかることなくおわった。(周りの奴は知っていたかもしれない)。
私はすぐ泣いて帰った。恥ずかしいことを我慢したら、余計恥ずかしい目に遭ってしまう。このルーツ分析をしていて、一時の恥を堂々とかけるきっかけになった過去の出来事でもある。これを反面教師にした。

話を戻すと、その後、犯人がわかってしまった。椅子にある防災用の頭巾クッションの臭いでわかったらしい。翌日ばれるのが凄く怖かった。ばれているんじゃないか、と怯えていた。
もう一生学校に通いたくなかった。当然、朝の登校時から、私を見る目がみんな違う。いかにもさげずんだ、馬鹿にした、にやついた顔ばっかりだった。クラス中噂になっていた。いたたまれない気持ちで席に座った。
あれだけ、みんなに変に思われることをしないように決めていたのに。防災頭巾は無くなっていた。担任の先生が捨てていた。誰も話しかけてくれる奴はいなかった。その後、あからさまに無視する奴が出た。
すべて自分が悪いんだと思って、耐えていた。よけいクラス中の話し声が、自分を責めたり笑ったり、悪口を言っているようにそのとき以来、いっそう聞こえた。悪友の一人が別のクラスにも教えまくった。惨めだった。
当時不登校は一般化していなかったため、必死で耐え続けた。

トレイに行きたいのをを我慢して漏らしてしまったことがそれ以前にもあった。何か発言するとまずいんじゃないか、恥ずかしい、と思って我慢に我慢を重ねた。つまり、自己主張が全くできない子だった。小便をもらして、水だ、と嘘をついたこともあった。
なにか違う出来事で自分が浮いてしまうことをおそれて、目立たないようにしようといつも思っていた。目立ったことをしちゃいけないと思った。だから、うんこを漏らした事件は、取り返しようもつかない傷を作ってしまったと、ずっと思っていた。

みんなからシカトごっこの標的にされたこともある。何をやっても話してくれないし、話しても反応しない。こんなことをされるのは自分が悪いんだと思った。他の奴はされていないのに私だけされるには、絶対理由があるに違いないと思った。
どうしたらされないですむんだろうと思った。自分の存在自体が、そうされる要素を持っているんだとしたら、そう考えただけでも恐怖だった。それは、もう対策がとれないからだ。そいつらに、立ち向かったり、怒ったりすることもできなかったし、泣きたかった。
それはすぐ終わったが、いつそれがまたされるんだろうと思うと、余計嫌われないように行動しなきゃと思った。目立つことはしないでいれば、すべて何事もなく時間が過ぎていくだろうと感じた。それを実践しようと強く決めた。
この逃げの姿勢が対人恐怖を強化してしまうことに。

それまで目立ったことをすると(当然子供の無邪気さで)、それを押さえつけたり、悪口を言う奴が近くに必ずいた。どんどんそんなわけで萎縮していった。
もうこのころから、対人緊張や社会不安障害の原因は完全にできあがっていたし、いまなら当然だと思っている。それぐらい抑圧と萎縮と人の顔色を読む反射神経は並はずれていた。

そのときは夢も目標もあった。勉強もスポーツも頑張っていた。
私の父親と母親に育てられれば、症状の度合いは違うけれど、はまってしまう子供になるのは、今はわかる。でも、親は変えられない。いつまでそんなことにくよくよ考えてもしょうがないと思う。
でも、子供の時はそれがすべての世界だったから逃れようがなかったのです。

 

(ネクスト)



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対人緊張や神経症を根本克服できたら楽しい人生を過ごせます!

多かれ少なかれ、皆さんも同じ苦しい思いを経験されていると思います。
私はある最高の出会い(岩波英知先生との出会い)を経て、劇的にと言っても過言でないほど、対人恐怖やうつ病が良くなりました。
おつりが来るくらい失ったものを取り戻すことができました。
それは今現在も続いています。

生きていることが楽しいからです。
私生活でも相性ぴったりの妻と子供にも恵まれました。
生きることはこんなに楽しいものか、同じ人間でもたった一つ考え方でこうも変わるものですね。
もし悩んでいたままで結婚し、子供が生まれていたら(ありえない未来ですが)、子供にも私の神経症が悪い影響を与えてしまうことにも悩んでいたでしょう。

子供には私と同じ人生を歩んでほしくなかっただけに、今も私の人生はとてもハッピーです。
子供はうまく対人緊張とは無縁の成長してくれています。

私には自信と強さと覚悟の力が身につきました。
一度きりの人生、もう苦しむのではなく、とにかくやっちゃおう。
それではじめて悩みのエネルギーを取り戻せます。

一度神経症のせいで道をずれたら、私に安寧の地はない。
だからやるのみだという心境に達しました。
それからはすごく楽になりました。

いらないと思った安寧の地がすぐそこにあったのです。
でもそこでいい状態を維持してやろうとは期待はしないで、その安寧の地すらもけっ飛ばしてはじめて長期的に心の平温を獲得できました。

絶対に克服しましょう! 失い続ける人生に決着をつけましょう!

でも、そこに至るまでのあの苦しさはとんでもない地獄でした。
だから、一刻でも早く対人
緊張や視線恐怖症・赤面恐怖症、うつ病で悩まれている方に力になりたいと思っています。

出口の見えない不安が、このページと出会うことで解消されればと思います。
ずっと人生は地獄なのではないです。
必ず抜け出せる日が来るものです。

やるべきことをやれば。
やらなければ本当に終わってしまいます。
それぐらい神経症、社会不安障害、対人緊張はやばい症状です。
何もしないまま放置すると自殺したほうがマシなぐらい地獄になります

私でも対人緊張を克服できたのだから誰でもできます

自分が一番どうしようもできないものですし、自分しか自分をどうすることもできないのも事実です。
しかし自分を攻略するためには、強力な武器が必要です。
その武器を与えてくれる存在と出会えたことは幸運でした。
みなさんも、ぜひ自分の人生に奇跡を起こしてください! 応援しています!

少しでも苦しみが軽減すること、それがほんのちょっと先に対人恐怖など、きつくてたまらない神経症を改善した私の役割だと思っています。
だって、良くならなかったら破滅しかないのですから。

甘い考えは神経症には通用しませんでした

私が神経症克服プログラムや岩波英知先生(こんな人っているのか!というぐらいすごい鬼才です)に出会っていなかったら、そのラインの先の未来は自殺か生き地獄しかありませんでした。

ある時に突然良くなっているとか、いつか良くなって悩みを克服しているなんて幻想は、その名の通り幻想にすぎません。
どうしても今の状態から抜け出して、克服したいという心を持っている人は、希望はあります。
私のように良くなれます。私は今強くなれたと思います。

いつか(良くなっている)、とかそのうち(治っているだろう)、なんて思っている甘い考えの人は、いまこのページを閉じてください。
悩みに立ち向かう覚悟がない人(つまり一生逃げ続けようと思っている人)もです。
このページは僕の体験が書かれてあるので、見ていておもしろいことなんてないです。

自分の苦しみを少しでも忘れられることをしていたほうがいいです。
どんどん逃避して下さい。どこまで逃げ切れるかわかりませんが。
相手は決して嘘のつけない自分です。どこまでも悩みをふっかけてくる存在です。 


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完全な神経症に悪化した時期、治りたくても治らない苦しみ

そもそも神経症といわれるレベルになったのは、高校時代でした(小学生からもちろん兆候はありました)。
以来十五年精神科・心療内科・カウンセリング・ヒプノセラピー・森田療法と渡り歩いてきました。
いくらお金を費やしたでしょうか。
失ってきたお金や時間、本当にもったいないことをしてきた人生でした。

贅沢も当然許されず、いかにお金を使わないで貯めていくかだけ考えていました。
お金を派手に使うこともできず、神経症の苦しさと一緒に、生活も制限される悔しさに涙しました。

私は何でくだらないことにお金をつかわないといけないのだろう。
みんなそれぞれ趣味にお金を費やせるのに。悔しさいっぱいでした。

一生死ぬまでこの苦しむ状態が続くのか・・・・といつも暗鬱な気持ちでした。
もがき苦しむ人生をなんで自分は送らなきゃいけないんだろう、いつも自問自答していました。
答えはまったく出なかったです。

行き場のない怒り、鬱憤、絶望、ストレス、哀しみ

なんで私だけがこんなくだらない!症状で苦しまなければならないんだろう。
苦しみの生け贄に選ばれるタイプの人間なんだろうか? 
毎日をびくびくしながら、挙動不審に思われながら、馬鹿にされながら、生きなければならないんだろう、とくさくさしたり嘆いたり、鬱積した感情でいました。

考えれば考えるほど、対人緊張や社会不安障害の悩みは私を容赦なく襲いました。
考えたら負けだとはこの時は気づいていませんでしたから、やることは考えることと余計悩むことでした。
どれだけ部屋で一人で悔し涙にくれたことでしょうか。
大の大人がクタクタになって、身も心もズタズタになっていました。

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神経症はお金を払っても治るとは限りません

神経症、私の場合は社会不安障害(対人緊張、視線恐怖症、赤面症)やうつ病、は自力で治すことは何よりも難しい症状です。
神経症の罠に陥った人は、その人の願望や精一杯の努力にかかわらず、悩みの悪循環を加速させ、一生神経症にとらわれ続けて生きていくという統計すらあります。

こればっかりはいくらお金があっても地位が高くても解決できない問題です。実際に多くの芸能人や有名人、歴史に名前を残した人が、悲惨な人生を送らざるを得なくなっています。

 

対人緊張、社会不安障害、神経症の克服を諦めないで下さい!

だからといって、神経症克服をあきらめたらそこで試合終了です。
希望があれば何でもできるし、希望がなくちゃ生きている意味が見いだせません。
私は
出口の見えない暗闇の中でもがいているみなさんの手助けがしたいです。
そのための私の体験記です。

 

私のような対人恐怖地獄の思いはもうたくさんです

二度と私と同じ苦しい思いを体験してほしくないですし、これ以上悩み続けることもして欲しくありません。
特に社会不安障害、対人恐怖、視線恐怖症、赤面症、うつ病と言われた人、その自覚がある人を勇気づけたいです
絶望の淵にいる方の力になりたいです!

 

社会不安障害も対人恐怖も実は克服可能です

社会不安障害、対人緊張の壁を越えるには、潜在意識に訴えかけて神経症の元凶を解消していける強力な心理プログラムを受けることが一つ。
悩み克服のエキスパート中のエキスパートに出会うことが一つ。
徹底的に自分の全力をかけて、神経症退治に取り組むことが一つ(自力でやり方を間違えるともっと悪化していくだけです)。
これは覚悟と勇気も必要となるし、自分を変えるための意志も必要になります。
自分と対峙する以上、必要不可欠な武器にしなくてはいけません。

その三つがあれば必ずあなたも神経症の灰色の世界を一変できます。
社会不安障害、対人緊張になった原因は己の中にあるのなら、必ずあなた自身が力を借りることで解決できるはず。
すべての問題の発生は無意識・潜在意識レベルにこびりついた病因と感情的抑圧が、根性と知恵での解決を不可能にしています。

一流の心理療法士や精神科医ですら難しかった技術が現実にありました

逆に言えば、無意識潜在意識レベルから根こそぎ解決できる方法があるならば、希望を見いだせるとは思いませんか?
もう神経症を治すことが不可能だと諦めていませんか?

諦めてはダメです! 神経症を解決することは奇跡と思えるかもしれないですが、実際に私は解決できました。
つまり、自分の無意識に奇跡が起こったのです。

私は実際に信じられない程の効果を得ることができました。
人生は二度と送り直すことはできない貴重な時間です。
是非とも自分の時間を取り戻して、悩みとは無縁の強い自分を取り戻しましょう!

あなたはまだ終わっていません! 希望を取り戻せます! 

しかし根本解決できないと地獄から抜け出せることはないと思います。

ノブ

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