対人緊張、社会不安障害の罠に陥ってから-大学生

なんとか大学に通い始めた。大学はさぼれるところと聞いていたので、気が楽になった。一人暮らしをはじめた。友達も知り合いも誰もいずに孤独だった。生きていかれるんだろうかと不安だった。
でも、親にうつな状態の私を責められるよりはよかった。そういう面では気持の余裕が少し出てきた。でも、引きこもっていると精神的にやられるし、ますます気分がうつ状態になる危険もあった。

大学時代は症状の面で特に書くことはない。いちいち症状の苦しさを書いていたら、きりがないから。高校時代の神経症の症状の延長とその強化版だから。いわゆる、思考のコピーという奴だ。
絶対大学期間中に治してやると思っていた。ヒプノセラピーや森田療法があることに期待をかけていた。本も余計読みあさった。すこしでも、自分にいいことがかかれてあると、それを慰めにしていた。でも、身に付きはしなかった。知識を得ても私自身の感情まではどうしても説得できない。
インターネットでも調べはじめた。実はこういう症状が異常に多いことに気づいた。でも私が一番きついだろう、という妙なプライドも持っていた。そういえば、プライドが私が、神経症をよくすることの最大の邪魔になっていることに気づいていた。でもプライドはどうしても捨てられなかった。どうしても人によく思われたかった。嫌われたくなかった。プライドを傷つけてしまう出来事を必死で避けていた。

高校時代よりもきつかったのは、マイナス思考が私を襲ってくることだった。それにおそわれたら、もういてもたってもいられないくらい、焦燥感や恐怖やパニックや息苦しさや割ることばかり考えてしまう思考の暴走、自分は生きていていいわけはないという恐慌がおそってきた。
しばらくすると和らぐが、本当にきつかった。一人暮らしだったため気持のはけ口がなかった。時々誰もいないところで大声を出して発散していた。そこまでしないと狂いそうだったから。

自殺をまた考えた。ヒプノセラピーや森田療法で治らなかったらそうしようと思った。森田療法は入院しなくちゃいけないので、通えるヒプノセラピーに助けを求めた。
ただの自律訓練法レベルをやっていた。実にそういうところが多いらしい。しかも、心理療法士のくせに、気にしすぎ、という言ってはならないことまで言われた。気のしすぎのなのはあんたよりもわかっている。でも気にしてしまうんだ、と思った。偽物だった。信用できなくなった。本当に生ぬるい奴だった。こんなもので金を取るなんて信じられなかった。
でも、これが現実だし、いちいち腹を立てていてもしょうがないなと思う。心の悩みは最終的に自分自身で解決するしかないのだから。

もっと実力のあるヒプノセラピストは凄いはずだと思って、別の有名なところ(宣伝をたくさんしているところ)に通った。でも、所詮レベルは変わらなかった。
そのうち、催眠に入れないのは自分の体質だからなんだと思うようになった。そいつもそんなことをいった。本当にたちが悪いと感じた。この催眠の先生は理論ばかりふりかざし、何の症状を改善するヒントも効果も与えてくれなかった。
今思えば、ただ催眠の理論的なものを本で書いて(世間一般では催眠術というのは摩訶不思議らしいから)、駅のホームで宣伝しているにすぎないんだと思う。
今では催眠にかかる状態というのは、脳にギャップが起きた時、感情的になっている時、非常にリラックス状態になっている時になるとわかっているけれど、生半可なリラックス状態で暗示をかけられてもかかるわけないなと思う。もともと被暗示性が低いのに。

次もヒプノセラピーに救いを求めに行った。一回目からこれは駄目だと思った。もう信用できないと思った。口だけは達者で理論武装をしていたけれども、肝心の能力もなければ、カウンセリング自体も下手だし、あんな実力でヒプノセラピーをやったとしても、本当に自分の能力に満足しているのだろうか。患者に申し訳なく思っているのではないか、と思った。
私が催眠にかからない体質だけれど、実はかかったとしても、私のような重い神経症の悩みを破壊したりすることはできないだろう。深い催眠状態でも、暗示をかけたとしてもまったく効果がない。
それよりもはるかに徹底した究極と言っていいぐらいの深い意識の中で、暗示を徹底して入れれば、私でもかなりの効果を得ることができる。これを身に染みて感じた今は、ヒプノセラピーの生ぬるさがに辟易している。プロを越えた本物のプロじゃないとだめだ、と思う。あまりに日本のヒプノセラピーのレベルは低すぎます

ヒプノセラピーに(というよりヒプノセラピスト)幻滅を覚え、あるがまま、の森田療法の入院を決めた。
ヒプノセラピーにしても、森田療法にしても、自律訓練法にしても、その関連本に書かれてある理論は一応納得できる。でもそれを実践できない人ばかり。とにかく入院をした。保証人を立てなくちゃいけなかったが、伯父に無断でなってもらった。
作業を徹底して、悩みのことを入院している人と話しちゃいけない、などの決まりがあり、それを実践していった。動く・作業するということはとても気持ちが良かった。自分の思考がおそってくることは少なくなった。環境が変わったからと言うこともあるだろう。行動すれば悩む思考を停止できると悟った。だから引きこもってずっと考えていたんじゃ悪化するだけと気づき、これは後に栄養になってくれた。
でも、大学に戻ったとき、対人緊張、社会不安障害が克服できる、という実感がまったく湧かなかった。自分もあるがままができるんだろうかと思った。そして退院となった。
変わっていて欲しい、という不安を伴った願望を胸に病院を出たが、まったくだめだった。気が楽になったが、すぐ重くなった。何にも変わっていない。
今までしてきたことすべてを持ってしても、私の社会不安障害・対人緊張を好転させることができないんだと思った。
いかに、あるがまま、が難しいか、憂鬱になった。あるがままの心境になっていたら、何にも変わっていないという思考は湧かないだろうから、こちらの修行不足もあるんだろう。なんでも人のせいにするのは良くない。
でも、当時はうつ状態に拍車がかかった。期待への反動で悪化したように感じた。

まだ死にたくなかった。自殺が怖かった。対人緊張、社会不安障害を克服して、のびのびと人生を送りたい。私のもてる実力をフル発揮したい。
とにかくすべての治す手段を失った私はインターネットをむさぼるように見た。悩んでいる人はとても多く、自分の症状に似た人もたくさんいる。でも、治った人はインターネットをやっていないのか、と思えるほど、そういう体験談はなかった。
自分の一番欲しい、治った人の情報はまったくなかった。やっぱりこのまま神経症が治らないんだな、と思った。掲示板では煽り行為、誹謗中傷、泣き言ばかり。

悩んでいる人の掲示板の書き込みは、見るのも辛かった。みな出口が見えなくて、もがき苦しんでいた。すねていた。醜いと思った。混乱していると思った。惨めだなと思った。みんな出口が見えずに苦しんでいると思った。
これはそのまま私自身に当てはまることだから笑えない。悩みごっこをしているとも思えた。誰かが、たるんでいるから悩む、と言う書き込みがあって、それにショックを受けた女性が、自殺する、みたいなことを書いていた。みんな必死で止めていた。
それを読んでいると、自分がむなしくなった。その女性は自殺せずに掲示板の書き込みに復帰していた。そして、傷をなめてもらおうと、また惨めな気持ちをはき出していた。そんなことを見ていると嫌になった。まさに私が、その女性と同じ症状だからだ。

今思えば、よくなっている人もたくさんいる。それは私もそうだし、私の通った岩波先生の心理プログラムでも対人緊張克服者たくさん見ている。克服した人は、インターネットで悩みのところを見る必要がないから、見ないわけだと、今は思う。もっと別の希望のある人生ができたから、見る必要を感じない。掲示板を見るって事は、停滞してずっと同じ場所にいるってこと。
良くなった人はどんどん自分の可能性にチャレンジしているから、停滞していない。それに難しく考えていない。デートや遊ぶことが楽しいし、仕事も頑張れるから

とにかく本物の心理療法を探し求めていた。圧倒してくれるぐらいの本物を探していた。圧倒してくれるといっても、宗教とか前世療法とか本当に胡散臭く感じていた。あんなものに頼っちゃおしまいだまで思っていた。
でもどこかにインターネットにはあるかもしれないと思った。かすかな希望を探し求めて、悩んでいる人だらけのインターネットの世界を探し続けた。人がそれだけいれば必ずあるはずだと。

あるとき、たまたま対人緊張、社会不安障害などが治った人の体験記を読んだ。私は、必死の思いでメールを送ってみた。これは! と直感で思ったからだ。

(ネクスト)

 

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